震災


8: 本当にあった怖い名無し 2013/11/14(木) 06:30:56.36 ID:NDb1Meio0
バイト先によく来るクレーマーがいた。 
「お客様は神様でしょ!」が口癖で、
喚き散らして値引きかタダにさせる常習犯。 
土下座ブームとかいうのが来るずっと前に
土下座させられたこともある。 

そしてその日もその客が来ていて憂鬱になっていた時、
地震が起きた。 
店はグチャグチャ、というか半壊状態。 

客も従業員も揺れが落ち着くと
一人が動いたのが合図みたいに一斉に外へ飛び出し 
もちろん俺も避難しようとした。 

で、何が声が聞こえてふと見ると
クレーマーの腰から下辺りに
崩れた壁が乗ってて 動けなくなってた。 
「ちょっと、助けなさいよ!」とかなんとか喚き始めた。 

それを見て俺は信じられないくらい落ち着いた。 

「いつも迷惑かけて見下してる相手
に助けてもらえると思ってんの?」 

クレーマーは驚いたような顔をして
それから明らかに焦り始めて 
私はこの店の為を思って、とか
別にアンタが憎いわけじゃとか言ってたけど 
最後にいつものセリフ
「お客様は神様でしょ!」と怒鳴った。 

「神様なら自分でなんとかすればぁ?」 
と嫌味っぽく言った後、わざとらしい大きな声で 
「さあ、大事なお客様は全員逃げたから俺も逃げよう!」 
と言って外に出た。 

後ろで何か喚いてたけど知らん。 
この後どうなったのかも知らん。 
復讐したと言うより「何もしなかった」ってだけかも。





896: 名無しさん@HOME 2013/10/01(火) 13:11:00.77 0
俺と同僚七人の修羅場 
震災時、津波から避難した建物で
身包み剥がされ奴隷にされた

雪が降る中、
防寒着からジャケットに至るまで上着を持っていかれた 
1本の水を同僚と七人で分け合う事にされ
(他の連中は1人1本)、
挙句にその1本もオバサンに持ち去られた 

建物内のトイレが詰まって何度も掃除 
建物に侵入してきた燃えた車の消火作業 
屋上で救援要請のアピールと見張り 
階段から階下の水位警戒 
直ぐソコまで水が上がってきてる階段で、
他の避難者の目を盗んで休憩 

一晩中それらの作業を続けさせられ、
津波水を飲んでしまった同僚三人の内の二人が倒れた 

このままでは、
他の避難者に杀殳されるのは間違いないと全員が確信 
他の避難者を〆ても
正当防衛や緊急避難が適用されるから大丈夫と結論 
だが流石に杀殳人は無理なので諦めた 

明け方に同僚の中の志願者が、
水位が胸まである状況で救助を求めに出発 
残りの者が不眠不休で作業を続けた 
体中の水分が乾ききり、脱水症状で眩暈に襲われる中、
我慢の限界が来た 

他の避難者が飲み水が不足してるから
なんとかしろと詰め寄って来たのだ 

俺らはお前らの奴隷じゃない 
俺らは確実にお前らに杀殳される 

そんな事をぶちまけ、俺らは勝手に脱出する事宣言し、
奴隷を放すまいと必タヒに止める避難者たちを振り切って、
動けない同僚を担いで腰まである水の中に飛び込んだ 

幸いな事に、先んじて救助を求めに行った志願者が
近くまで来ている事を無線で知らせてくれた 
車が来れるギリギリで待機していると 

必タヒになって水の中を歩いて車に乗った瞬間に意識を失い、
気づいたら二日経っていた 

他の避難者が助かっていなければ、
間接的とはいえ俺って杀殳人者なのでは?っと心が修羅場



668 :育児まとめニュース 2018/09/09(日) 17:01:23 ID:JOVV9Azu0.net
今回の地震関連のニュースを彼氏と見ていて、私がインフラ系の仕事してる人たちや自衛隊は凄いと思う、有事に頼りになると言ったら
仕事なんだから当たり前、普通のことしてそんな風に思うとか単純w
と言われました
いくら仕事とはいえ、こんな時に対応をする人は凄いと思ってそれを口にしただけなんだけど
他のことでも私は単純なところがあるけど引っ掛かる

383 :育児まとめニュース 2016/10/06(木) 14:44:43 ID:ufv
悲しいけど。
友達が、なんでも震災に絡めてしまう子になってしまった。
その友達Aは、実家が被災地近く。
被災したわけではなかったらしいんだけど、被災後の街並みとかを見られる場所だったみたい。
住んでる場所が遠いから、直接会うのは年に1、2回、メールでのやり取りはわりとするんだけど、この前会った時も、全部福島の話に変わってしまう。
例えば、毎回会う時にちょっとした食べ物のお土産をお互い持っていってるんだけど、たまたま前回は私がラーメンを持って行った。
ラーメン有名なところに旅行に行ったから、そのお土産も兼ねて。ちなみに福岡とか札幌とか、福島とは関係ない場所。
そしたら、喜多方ラーメンの話になり、また震災へ。
あとは、ここ新しいレストランできたんだね、気づかなかったなー、いつできたんだろ?
2010年だってー、そんな最近じゃないじゃん!笑 行ってみようか!という流れで、
店員さんに、結構ここ通ってるのにこんなおしゃれなお店できてたなんて気付かなかったーみたいな話をしていたら、
Aが突然、このお店できたのって震災後ですか?とまた震災へ。
子供の保育園で夏風邪が流行っててーという話から、福島の健康診断の話、そして震災へ。
電車遅れてるね、何かあったのかな?というので、この路線って海近いからよく遅れたり止まったりするんだよという話から、震災直後の電車の話へ。
私は震災の時、何週間か計画停電するくらいの地域に住んでたから、めちゃくちゃ遠いわけではないけど、ものすごく近いわけではない。
震災にあった人にとっては忘れられないだろうし、私がこんなこと言っていいのかもわからない。
でも全部の話が震災につながるのは、とても辛い。
聡明な子で、人の痛みの分かる子だけど、ちょっと会うのが億劫になってる。


812:おさかなくわえた名無しさん2014/01/31(金) 08:27:50.70 ID:FKS9DcIH
今まで生きてきて凄く衝撃だったことと言えば、
3.11の震災の時、うちは当時千葉住まいだったんだけど
マンションの13階は結構揺れて、怖いけどどこにどう逃げていいのか分からなくて
布団にくるまってトイレに駆け込んだ。
揺れが収まって出てみると部屋の中がぐちゃぐちゃで
一番ショックだったのは食器棚が倒れていたこと。
粉々に割れた食器を見て、これを片づけることを思うと絶望的な気分だった。
そこまでで十分衝撃だったが、その後旦那と一緒に「せーの!」で食器棚を起こしたら
粉々の食器の中に「どーも~!大丈夫でっす!」とでも言いたげに鎮座した
モロゾフの瓶を見た時が衝撃だった。
キズひとつなかったモロゾフの瓶、すげー!




155: 名無しさん@HOME 2011/03/24(木) 22:12:56.33 0
長文です。1/2 

うちも福島住みで、地震当初から義兄から「避難しろ」コールが。 
旦那の仕事がひと段落ついたので、義実家に避難する事にした。 
義兄は受け入れると言っていたのでお言葉に甘える事に。 
義実家は義兄夫婦&トメの三人暮らし。 

私は連日の余震、原発関係で精神的にクタクタだったので 
私は自分の実家に行って休む事にして 
旦那は旦那実家に行く事にした(お互いの実家の方が気を使わずに休めると思った) 
本当は旦那も私の実家に連れて行きたかったのだけれど 
私の実家は、団地で狭くて、お世辞にもきれいじゃなく 
旦那の実家は田舎で部屋数も多い。 
それに兄弟であり、息子である旦那一人の方が向こうも気楽だと思ったから。 
10日ほどお互いの実家にやっかいになるつもりで 
途中の駅で別れて、それぞれの県にある実家に向かった。




88:名無しさん@おーぷん2015/05/21(木)16:35:20 ID:tvm
浮気して別れた彼女との話書き捨てる
勢いで書くから長くなったらごめんよ


震災のあった年、同じ大学の女の子と付き合ってた
入学直後のオリエンテーションで仲良くなって付き合うことになった
当時二年以上付き合ってたことになる
卒業して就職したら結婚しようか、なんて今思えば青臭いことを言い合って
お互いの親とも仲良くやってたよ

そんな日々にあの震災があった


彼女はちょっと北(原発問題のあった県)の出身でちょっと実家に帰るね、と帰っていった
すぐに彼女から被害はなくて大丈夫だったと電話があって安心した

で、しばらく親と一緒にいるね、と言われたのであっさり納得した




378:名無しさん@HOME2018/03/22(木) 17:44:16.34 0.net
絶対他人には言えないんだけど、震災から7年
姑が亡くなって舅と義兄一家が実家の離れに避難して来た(私一家は私の実家住み)
帰宅できるようになって舅と義兄は戻ったけど子どもは危険だと義兄嫁と子供は残った
生活の基盤がうまくいかず送金も少ないらしく義兄嫁はパートしつつそのままずっといる
小学生の頃はまだ良かったけど中学と高校生になって、でかいし思春期なのか無愛想だし
離れに他人が住んでることにも気を使う
まさか7年いるとは思わなかったよ





547:おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/2014/10/04(土) 12:52:21.34 ID:+CyWX16U

んじゃ俺の修羅場言うぞ

震災で海に流された。
当時仕事で石巻に行ってて渋滞巻き込まれてこりゃダメだと車捨てて逃げたら津波に巻き込まれた。
何か掴まるものを探してたら運良く家の柱流されてきてそれに掴まる。
その後沖に流されるとき小型の漁船が近くで流されてたから拝借。
取り敢えず助かったが今度はくそ寒い。
漁船探してもなにもなし。
どうすっかなと思ってたらどっかの工場から流されてきたのか梱包用のラップが流れてた。
これしかないと思って海に飛び込んでラップ回収。
身体中にラップ巻きつきて暖がとれた。
多分凍氏した人もいただろう。
次の日適当な板切れ見付けて陸まで漕ぐ。
丸一日かかった。
それから仙台の自宅まで徒歩で帰宅。
3日かかった。
自宅は無事だった。
帰ったときの嫁のリアクションは結婚以来初めて見たと思うくらい喜んでた。

諦めなけりゃなんとかなるもんだな





120: 2011/05/01(日) 11:48:05.81
まとめサイトで知ったけど、こんなスレあったんだ

うちも嫁だけタヒんだ
俺と子供と家が残った
海沿いで働いてたから、避難途中で津波にやられたらしい

幸い見つかったけど、所持品でかろうじて嫁ってわかるくらいで
とても子供に見せられる状態じゃなかった
遺品、重かった
水と泥で、嫁の体重くらいあるんじゃないかって思った
火葬前にそっと見たら、水が抜けてて、ちゃんと嫁の顔になってた

子供はまだ小さくて、ママがタヒんだことわかってない
「ママどこ?」って泣いてばかりだ
泣いて泣いて、泣きつかれて寝る毎日だ
保育所再開したけど、とても預けられる状態じゃなくて、仕事の時間は
俺の実家で待ってる

嫁が植えたチューリップがやっと咲いた
子供がママお帰りって言うんだ

俺、これからどうしたらいいんだろうな




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