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610:名無しさん@おーぷん2017/08/20(日)13:13:47ID:32f
親父が山でウサギの子供を拾ってきて、弟と二人で世話をしてたんだけど
元々足腰弱かったのか俺が忙しくてあまり世話できなかったからか
(途中から弟が懸命に世話してました)
後ろ足が両足とも動かない状態になってしまった。

治療にはお金がかかるっていうし、
そのまま世話するにしても足動かないびっこじゃ大変だから
安楽タヒさせようって意見があるんだけど、家族や周囲の人達に反対されています…
人でなし、とまで言う人までいて、
俺の決断はそんなに人として間違っているのでしょうか?




1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/03/11(水) 18:20:35.80 ID:1ukQO8BP0.net
 
東日本大震災追悼式の宮城県遺族代表、菅原彩加(さやか)さん(19)=石巻市出身=のことば ◇
私は東日本大震災で甚大な被害を受けた

宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。

小さな集落でしたが、朝学校へ行く際すれ違う人皆が
「彩加ちゃん! 元気にいってらっしゃい」と声をかけてくれるような、
温かい大川がとても大好きでした。
あの日、中学の卒業式が終わり家に帰ると大きな地震が起き、
地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人をのみ込みました。
しばらく流された後、私は運良く瓦礫(がれき)の山の上に流れ着きました。


その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり
足は折れ変わり果てた母の姿がありました。
右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが
私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。
母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。
「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、
近くにあった小学校へと泳いで渡り、

一夜を明かしました。 



284: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/05/10(日) 21:14:47
やべーよどうしよう
2ちゃんなんかやってる場合じゃねーけど
医者に今は落ち着いて下さいって言われて
パソコンでもって座らされて何も出来ねーよ。

721: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/09/30(月) 03:55:52.75

非難されるの覚悟して書く
震災時に避難所で妻が子供に粉ミルクをあげてたら、「私の子供にも分けてください」の声
見ればその人は3歳ぐらいの幼児を連れていた
家があれば別だろうが、震災直後はすぐにコンビニに行かない限り、水も食べ物もない
特に赤ちゃんのミルクなんて貴重でまず手に入らない
幸い家は津波にあったものの、家の中が水でかき回されるぐらいですんでいたから
封の切っていない粉ミルクの缶やペットボトルは無事だった
でも俺は断った、その時はどれくらいで国の支援物資が到着するかも不明、届いてもその量は限られるに決まってた
子供にはこういうときこそ栄養を取ってほしいし、余りをほかの人に上げるくらいなら妻に飲んでほしかった
それにその人にあげたら、幼児を抱えたほかの人にもあげなきゃいけなくなってしまう
だが、その場の助け合いの同調圧力がひどくて、移動するまで針のむしろ
その人は何度も来るわ、その度に周囲の視線がきつくなるわ、お節介なおばさんが「少しぐらい…」と横槍入れてくるわ
こっちだって労働力がほしいっていうならいくらでも協力するよ、みんなの、ひいては俺の家族のためになるなら
だけどこの食料って一方的な提供で、誰かが代りのものをくれるわけでもない
余震の中、完全に水が引いていない家で命がけで見つけてきたものでもあるし、
それを簡単に、「こういうときこそ云々」と人の物でいい事しようとする連中に囲まれたのが修羅場



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