164:名無しさん@HOME2014/01/19(日) 18:02:14.78
プチ修羅場。
流血表現アリなので注意。

40代前半の俺と30代後半の嫁、小梨。
結婚後、実家近くでアパート住まいだったんだけど
自分の親が実家の他にもう一軒
築40年の30年無人で物置として使っていた家があって
そこをリフォームして俺夫婦が住む事になった。

30年放置なので傷みも激しく
柱だけ残して残り全部リフォームという
大掛かりな工事の末、7月末に完成、8月入居。
真夏の引っ越しでヘトヘトになりながらも
なんとか引っ越し完了。
新築同様に綺麗になった我が家で暮らし始めて数日後。

23時ごろ、俺と入れ替わりに風呂に入った嫁が
脱衣場から悲鳴を上げ、大声で俺を呼んだので行ってみると
嫁のふくらはぎから物凄い勢いで血が噴き出していた。

もう、小/便小僧とかスプラッター映画みたいな勢い。
放物線を描いて「ブシュー」って音が聞こえそうで
脱衣場の床に落ちた血がボトボトボトーって音立ててた。

慌ててタオルを当てて「コレで押さえろ!」と言って
ハダカのままの嫁を浴室に押し込んだ。

続きます





915:おさかなくわえた名無しさん2017/03/25(土) 15:36:45.47ID:1vt8MRgl
今となれば笑えるけど当時はみんなそれぞれ悩んだ家族の修羅場

産みの母は、俺を生んでタヒんだ。
心臓周りの血管に元々持病があったらしい。だから、俺は産みの母を知らない。
産みの母がタヒんで、俺を育てるのに必タヒだった親父をすぐに助けたのが、
二つ下で父の幼なじみだった養母(以後母と)

ちょうど、母にも子供(姉貴)がいて、丁度いいからと面倒を見てくれた。
そっちの父とは離婚したそうだ。理由は知らん。教えてくれない。
そこで色々あって、俺が3つの時に再婚、四人家族になった。
まあ、父方の祖父母曰く、収まるところに収まったんじゃろ、とのこと。
(別に産みの母を嫌っている訳では無い。むしろ褒めていた。)
ところが、小4の時に、親父がタヒんだ。
心臓だった。めちゃくちゃ朝早いはずの親父が朝起きて来なくて、
そのまま冷たくなってた。
俺も、姉貴も、タヒぬほど泣いた。

両親の祖父母の手助けで生きていたが、中学2年の時に、母が再婚した。
同じように嫁さんを病気で無くした、近くの大きな鉄工所のオーナーだった。
親父と、そんなに年変わんないんだ。
そこにも、弟と妹がいた。
というか、姉貴→妹繋がりで知り合って、再婚、となった。

ここでまず、俺の脳内修羅場発生。
「血が繋がった人がいなくなった。」

この修羅場が表に出たのが、俺の大学受験のとき。
父の意向で高校、大学、院までぶっ続けで行ける技術系の学園にいたんだけど、ある日父に
「お前、大学どうする?受験?エスカレーター?」
って言われて
「受験はしません。エスカレーターもしません。就職して、家を出ます。
これ以上、迷惑はかけられません。俺は、あなた方と血が繋がってないんです」
って返した。返してしまった。

自分でも、やっちまったな、とは思ったわ。でも、しょうがないじゃん。
技術系の大学の学費、私立たけーんだって。
年間、基本で150行くんだぞ。追加で色々発生するし。で、弟妹もいるしな。

無論、タヒんだ父母の保険金や、
既に亡くなってる父方祖母の保険金やらで俺ひとりでも賄えない事は無い。
盛大にお釣りが来る。でも、多分、親父はそれを使うことを許さない、そういう人だ。
分かってたから、そう言った。家を出ますってね。
ぶった斬るならここしかない、って。




527: 名無しの心子知らず 2014/03/01(土) 06:02:02.62 ID:3hVKsvhm
書き逃げ 

昨夜、仕事から帰ってきたらうちの前で放置児が血まみれで倒れていた 
さすがに放ってもおけんので警察を呼んだが、 
放置児が「お母さんに・・お母さんに・・」とうわ言を漏らすので 
来たお巡りさんは私を母親と誤解し何やったのと怒鳴りつける始末 
ご近所さんの証言でうちの子ではなく、むしろ近隣が迷惑している放置児だと理解してもらえた 
放置児は救急車で搬送されたが、もちろん親とは連絡がつかなかったので 
警察が小学校の担任と隣の市在住の祖父母に連絡し来させた 

何で私の家に来させたのかは不明だが、うちの前に捨てていったからには 
戻ってくる可能性もあると言われては反論もできず 
ただし屋内には入れずに、血まみれの玄関先を掃除させていたところ、 
日付が変わったくらいに千鳥足の放置母がヘラヘラ来襲 
「預かってくれる約束をしたのにいなかった(放置児押しつけの常套句)から 
置いていった」とだけ証言し、子供への暴力は否定していたが 
公衆の面前で無関係の私を怒鳴りつけた後ろめたさからか 
お巡りさんは必要以上に叱りつけて現行犯逮捕し連行していった 
担任と祖父母も自分たちの車でついていったので、私たちはようやく解放された 

あれだけの大騒ぎだったのに、親子だからか今朝の新聞には載っていない



このページのトップヘ