自殺


504:可愛い奥様2017/04/02(日) 17:35:33.06 0
すごく後悔している過去がある。

もう30年以上も前の小学校高学年だった頃
突然クラスメートの女の子が転校していった。
本当に昨日まで登校してたのに今日は居ないって感じで
担任からは「急な引越し」と聞かされて
物知らずだったので、引越した空家は誰の物でもない!
という感覚で他のヤンチャな男児達数人で
その空き家に入り込んで遊ぶ様に。(窓を壊して入り込んだ)

最初の頃は本当におっかなびっくりな探検ごっこだったけど
段々図々しくなって、いろんな所を物色する様になり
ドアや壁や備品を壊して遊ぶわ、天井裏を剥がすわ
男の子達はふざけてそこら中に立ち小便するわ
小金(数千円、子どもにしたら結構大金)を見つけて山分けしたり....

空家の中は見るも無残な状態になっていって
私たちも一時の興奮が覚めてくると「何かマズイかも」という
後ろめたさもあっていつの間にか行かなくなった。

そして暫くしたら、空家周りに警察官やパトカーがいっぱいで
ヤベェ!通報された?!とビビったけど、そうではなくて
中で、女の子のご両親が首を吊って心中しているのが
発見されたせいだった。

子供たちには事情を知らされなかったけど
消えた女の子一家はヤくザ絡みの借金で
夜逃げして行方不明だったらしい。

ご両親がどんなつもりで戻ってきたのか知れないけど
戻って来てあの無残な家の中を見てどんな気持ちだったか
クラスメートだった女の子はどうなったのか

本当に後悔しています。



【前編】 【後編】
201:86 ◆pWflcMPOwg2012/07/03(火) 09:22:13.83 0
おはようございます。
今書くと横入りになっちゃうかな。

昨夜、ウトさんのお姉さんと妹さんが来て真相がほぼわかったので、
報告に来ました。
文章力がないため、わかり辛いかと思いますが、
長女との話し合いも含めて、とりあえず報告します。
すごく長くなります。
紫煙お願いします。

スピーカーというか、「手癖が悪い」発言の元は、
ウト姉家のお嫁さんでした。
そのソースは亡くなったトメだけでなく、コトメ…。
ラスボスはやっぱりコトメだったわけです。
皆さんの洞察力に、心から感嘆してます。


【前編】 【後編】
86:名無しさん@HOME2012/07/01(日) 14:21:17.08 0
私も愚痴るだけかもだけど、書いていい?


578: 1/3 2012/12/02(日) 16:01:15.83 ID:0gY5Sc6L0
高校時代のことです。 
自分は普段から、ノートを取らなかったり提出物を出さなかったりで、
一部の教師から嫌われていました。 

受験も近づき、これではまずいと一念発起。その前の期末では
平均点に届くかどうかの成績でしたが、
実力考査で一気に学年4位にまで成績を伸ばしました。

各科目の教師から「やっと本気になってくれたな」とか
褒められて次からも頑張ろうと思った矢先地理の教師(仮にT)が答案を渡した後、
私を指導室に呼び出しました。
カンニングしただろうと言われたわけです。 

Tは日頃から私の事を毛嫌いしていましたが、
指導室ではしつこく私を責め立てて、そしてたくさんなぐりました。 
体罰とかそういうのが問題になる前だったからかも知れませんが…



117: 名無しさん@おーぷん 2016/01/18(月)21:38:49 ID:irv
吐き出したくて来ました。
いい年をしたおばさんの愚痴や後悔混じりの話しになりますがお付き合いください。
弟が自さつした話なので不快な方は読み飛ばしてください。

私はいわゆる毒親の元に生まれた。
両親は典型的な田舎の長男教で、長男以外はいる価値がない。
むしろ、家計のためにはいないほうがいいという考えの持ち主で、男ならまだしも女は猫といっしょでガキを作るしか能がないと常々言い続けていた。
そんな親は三つ下の弟を異様に溺愛したが私のことは徹底的にイビリ続けていた。

召使いのような扱いを受け、毎朝5時に起きて廊下の雑巾がけをしなければ箒や棒のようなもので打たれた。

食事すらロクに与えてもらえず、両親は自分たちが食べ残した物を私に投げてよこした。空腹に耐えきれず、投げつけられて落ちた物を拾って食べる私を「卑しい」と罵り、蹴られることも珍しくはなかった。

今でこそ開けてきてコンビニや大型スーパーもできたし電車が開通したことで拓けたけれど、私が子供の頃は何もなかった。もしあったら私は万引きしてでも食べたと思う。

子供だった私は飢えに耐えかねて近所の畑を荒し、土がついたままの大根や葉っぱを齧っては見つかって怒られた。

若い人にはピンとこないだろうけど、地元は男優先の男尊女卑が今も根付いている地域で、女だっていうだけで無意味に貶める風潮が少なからずあった。全員が全員そうだったわけじゃないんだろうけど、閉鎖的な環境で暮らしていたその頃の私は、周囲に助けを求めてもムダだと学んでいた。

毒親に溺愛された子というと、毒に染まったどうしようもない人種だと思われがちだが弟は違った。

両親に食事すら与えてもらえない姉に、弟はよく自分のお菓子を分けてくれた。
見ているところで分けると「弟のものを盗り上げた」と余計にひどい暴力に晒されるので、親が寝静まったころにこっそりと食べずにとっておいたお菓子を持ってきてくれた。

幼いなりに自分の家がおかしいとわかっていたのか、ニヤニヤと笑いながら私をいたぶる両親に何度もやめるように言ってくれた。

でもその当時の私には、弟を可愛いとは思えなかった。
両親の愛情を唯一独占している弟が妬ましかった。はっきり言えば僻んでいた。

私は着古してボロボロの服を着て、暖房も扇風機もない三畳足らずの物置で寝起きしていたが、いつもきれいな服を着ていた弟にはエアコンのついた部屋が与えられていた。男に生まれただけで何不自由なく恵まれた待遇にいる弟を、妬まずにいられるほど大人ではなかった。

弟のほうは「姉ちゃん、姉ちゃん」と言って懐いてきたがそれすら煩わしかった。
今にして思えば、弟は随分さみしい思いをしたんだと思う。

両親は弟を溺愛していたが押し付け的なところが多々あった。
弟が姉に懐く姿を見て、「弟に色目を使うような女」と姉に暴力と暴言を浴びせる親だ。まともではない。そんな親の愛情を受けたところで弟は辛いだけだったんじゃないかと。



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