821:名無しさん@HOME2012/05/21(月) 03:01:17.77 0
母の修羅場か私(男)の修羅場か分からないけれどもまとめてみた。

私の母は、親が決めた人と結婚する直前に、
ずっと好きだった幼馴染の父に告白され、
結婚をとりやめて父を選んだ。

この時、母は両親に勘当された。
しかし、結婚直前で、母の妊娠が判明。 


名家というのでも、有名な家というのでもないけれど、自営業で、代々世襲制の親族経営をしているため、「父親がどちらか分からない者は家にいれない、おろせ」と父の両親に迫られ、おろすのが嫌で、結婚自体白紙に戻し、兄を頼って知らない土地へ行き出産した。

父は、「自分の子どもではない」と言って、
認知はせず、父も他の人と結婚し、
子どもをつくった。

母は、何年かして両親と和解し、しかも一度破棄した結婚相手と、再び縁談が持ち上がり、相手の両親が大反対する中、その人は、うちに婿に入るような形で、家を捨てて母と結婚した。そして弟と妹をつくった。

私はその人を父(以下:養父)と思って育った。

(ここまでが前提) 





661:おさかなくわえた名無しさん2016/09/09(金) 21:39:18.27ID:tOh29Ss/
ちょっと重い話でスマンが、
うちは俺が小さい頃に父親がよそに女を作って離婚。

母親は俺が5歳のときに再婚して子供を3人産んだので、
俺は4人兄弟妹の長男だけど下3人は父親が違う。

新しい父親は下の3人と俺をまったく分け隔てなく育ててくれて、
とても感謝してるし、6人家族ですごく仲がよい。
今は俺と妹が結婚して家を出て、
弟2人はまだ独身で実家にいる。そういう状況。
父親の記憶はおぼろげにあって、
すごく優しい思い出があったから、いつかは会いたいと思っていた。
ところが先日、俺が高校生の頃に父親が亡くなっていたことを知った。 

原因は白血病。骨髄バンクにも適合するドナーがいなくて、
近親者に片っ端から当たったけど誰も適合しなかったとのこと。
そして、実は俺にも適合検査をしてくれないかと父親の家族から打診があったそうだ。
ところが母親はそれを断り、結局父親は程なくして亡くなったとのこと。 

俺が適合できたのかどうかはわからないけど、
もしかしたら適合できて、タヒなずに済んだかも知れないと思うと、
なんでひと言相談しなかったのかと、母親の神経を疑わざるを得ない。 
父親の浮気のせいで母子共に路頭に迷ったとか、
それほど苦労したわけでもないのに。 

人間の生タヒが掛かっていることを自分の恨みだけで拒絶した神経がわからん。




870: 名無しさん@おーぷん 2015/03/23(月)22:42:49 ID:cJb
相談させてください。

高校生の義娘を持つものです。
娘は妻の連れ子でした。
の離婚理由は男の不貞と経済的DVなどで、娘が小学1年生のころに離婚しています。
それでも娘は月1回は実父と面会していたのですが、
最近になって実父ともう会わなくていいかと言ってきました。

理由としては。
・面会に行くための電車代などは私が出していて、それが心苦しい。
・高校生になって部活や勉強で忙しいので休日を1日潰したくない。
・正直めんどくさい。
・実父に会いたいとも思わない。 父親だと思ってるのは今のお父さんだけ。


主にこのような理由でした。

電車代などは月1回程度は微々たる出費なので気にしなくていいといったのですが、
その他については何とも言えませんでした。

私には大事な娘です。
出張の多い仕事なので長期間家族に会えないとつらいです。
血の繋がらない自分でさえこうなのに実父からしたら月に1回の面会がどれほど大切なのかと考えてしまいます。

娘の年齢的に反抗期なのもあるかもしれませんし、
何かあった時のことを考えると会っておける時に合っておいた方がいいのではないかとも思います。
しかし、私からあまり勧めるのも「今のお父さんだけ」と言ってくれた娘の気持ちを突き放すように思えてしまいます。

娘の気持ちを尊重するのがいいか、後悔しないようにできるだけ会っておくように説得するか。
アドバイスをいただければ幸いです。




760:名無しさん@おーぷん2016/08/11(木)20:29:49ID:CPI
すみません今起こったことの本当に愚痴です
(長い言われたんで2つにわけてます)

今夕食中で、テーブルに肉じゃががあって、
自分母さんのつくった肉じゃが大好きなんで食べてたんです
そしたら父親がなんか色々言い出して、一人で抱えて食うなって
(元々家は大皿のおかずからそのまま自分の箸で直接食べてく感じです)

たしかにまあ一人で抱えて食ってたのも事実なんで、
テーブルの真ん中に戻してそのまま食べてたんですが、
それでもなんか父親がぶつぶつ言ってて、小皿出して取って食べろって
うちはずっと大皿から直接食べてきてて、今まで別にそのままだったし、
面倒だしってこともあって「何で?」って言ってそのまま食べていたら
父親が「~~なのか?」みたいな
(なにいってるか思い出せないのですが、自分に問いかけしてる感じでした)
こと聞いてきて、自分はいいよやうんなど、
まぁ肯定するようなことを言ったのです。




191: 名無しさん 2014/03/31(月)12:49:03 ID:HA3rGd5Qj
流れ豚切りスマン

早朝にあった修羅場で、近所の人から、
「おたくのおじいちゃん、ケガして歩道を歩っているよ!」
って連絡が来たこと。

痴呆は入っていたが、
初めての展開で修羅場でした。




528: 名無しさん@HOME 2009/10/03(土) 01:14:14 O
遠回しに嫌味を言ってくるトメ。
ムカッとは来るけど相手にするのもって思ってハイハイワロスワロスで済ませていた。
最近私だけじゃなく実家にも色々嫌味を言ってた事を知った。

去年のお歳暮時期に実家にお歳暮のお礼電話があったらしい。
ちょうど母が用事をしていて父が出たんだが、トメは父に何を思ったか「お父さんも早く孫を見たいでしょう」と宣ったんだそうな。
嫁の私に言うならまだしも嫁の父親に言うその無神経さに唖然としたんだが、父は一言「別に…」と返答。
電話の向こうは何やらブツブツ呟きながらそそくさと切ったらしく、その後母に父は「そんな事したら嫁子が向こうにいらんことされるやろ!」と怒られたらしいが、父GJ!と思ったよ。




663名無しさん@おーぷん2018/07/01(日)00:12:19 ID:96M
大学を卒業して初任給で両親を連れて食事に。
全額出すつもりで寿司屋に誘ったが、母の強い要望で割り勘で行く事に。
その後も誕生日やボーナスなど何度誘うも「割り勘なら行きたい」としか言わない。
社会人3年目になり、一度もご馳走してない事に引け目を感じていたので
不意打ちで回転寿司に飛び込んだ。
早々に全額出す宣言をすると、父は「本当に良いのか?」
と嬉しそうで、私も「金はある。1万でも2万でも食え」と。
母は動揺していたが「普段から優柔不断な所あるしいきなりは緊張するのかな~」
くらいにしか考えてなかった。

しばらく待ってカウンター席に通され、着席。
着席するかしないかのタイミングで皿を取っておしぼりで手を拭く余裕すらなく素手で食べ始める父。
慌てて止める母、呆気に取られ固まる私、こちらを一度も見ずに2皿目を取る父。
そこでようやく「いやいや、おかしいだろ」と父を制止する@鬼嫁ちゃんねる





471:可愛い奥様[sage]2010/11/20(土) 22:36:50ID:JjO3ZWIX0
群馬小6自サツ事件のエピソードで思い出したことがあるんで
ひさしぶりに投下しようっと。
黒いかどうかわかんないけど気持ち悪いと思う。
三つに分けて貼るね。

大分前、父が心筋梗塞でタヒんだのだけれど、
その父というのが、私が中学生のころから段々と、
山本文緒の「群青の夜の羽毛布」に出てくる父親みたいな生活をするようになってた。
私が15才からとして、以来20年ぐらいの間かな。タヒぬまで。
それはそれとして、
本やら何やら色々なものが積み上げられていて、谷のようになってた寝室の遺品を整理したんだけど、
大半が工口本やその手の雑誌。
その中で私が打ちのめされたものが二つあった。
ひとつは、
セイ器まで明らかに描き表わされた幼女の絵のコピー。
筋だけのせい器の部分に色鉛筆か何かで薄赤く色がつけてあった。
多分父親が色を加えたんだと思う。
私は子供の頃父親にいたずらされたから、父親が基地外だってわかってたけど、
改めてそういうものを見つけたときには参った。




579:おさかなくわえた名無しさん2013/11/18(月) 20:29:25.88ID:y8t+u1Th
自分というよりは父の修羅場。
幼少時、自分の火悪戯で火事を出した。
調度両親ともに仕事で出ている時。(母は内職の定期集合作業だったらしい)
仏壇の蝋燭で暗い所を探検しようとして、外して立て掛けてあった襖に引火。
仏間は二階で、一階からジョウロで水を運んで消そうとしたが、間に合うはずもなく。
そこからは覚えていないのだが、隣家のお兄さんが気が付いて救出してくれ、消防に通報。
家は半焼した。


記憶は飛んで、ご近所の人が古着や何かを集めて寄付してくれたりする中、私は呆然と周りを見ていた。
やがて鎮火すると、父は私を玄関まで連れて行き、ただ一言、
「自分がやった事をよく見て置きなさい。」
と言われた。
玄関の正面にあった階段の向こうにポッカリと空が見えたのを鮮明に覚えている。
それ以上、怒られたり叱られたりした記憶は一切ない。
ただその一言だった。

父は朝早く夜遅い職人仕事を辞めた。
親方の信頼も厚く、将来有望だったが、キッパリとやめて、家族で過ごす時間最優先の仕事に転職した。

大人になってからこの時の話をしたら、
「子供がやった事は親の責任だ。お前を叱ったからって何になる。」
と言われた。

もう一つ、余り鮮明でない幼少時の記憶にある、本家の仏壇の前で号泣する父の姿。
住まいを失い、転職するための準備に追われる中、親戚に預かってもらう為に私を連れて行った時に、責められたのだそうだ。
両親は反対を押し切って駆け落ち同然に一緒になっていたから、余計だっただろう。
そして、悔しくて悔しくて、お祖父さんお祖母さん(父の父母)の前で泣いたのだそうだ。
父が泣いている姿は、後にも先にもこれしか見ていない。




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