思春期


537:離婚さんいらっしゃい2011/12/09(金) 15:23:12
元妻や娘から無視されるか、暴言を吐かれるかの毎日だった。食事や洗濯はすべて自分でやった。
しかも洗濯機は使わせてもらえず、夜中にコインランドリーで洗った。
それに家の風/呂には入らせてもらえず、毎日、銭湯に行った。

うちも娘が中学3年生の頃だった。
キモい、近寄るな、汚い、から始まって、
最後の方は、金だけ残して視界に入らないところに消えてくれ、
さっさとシんでくれるとうれしい、生命保険は入っているのかなど言いたい放題だった。

思春期云々ということも考えはしたが、どうしてそこまで嫌われるか、
心当たりがなかったから、苦しかった。

あとで分かったのだが、娘は元妻から、父親は浮気をしているといった嘘を散々吹きこまれていたとかで、
家庭を顧みず、浮気相手に入れあげているような父親に対しては何を言っても許されると思っていたらしい。

本当に胃に穴が空くほどの半年あまりだった。

娘が高校1年生の夏に、一気に離婚して二人まとめて追い出した。
当時は、とっとと縁を切って人生をリセットしたいという気持ちが強かったので、一気に叩きのめすことを優先したけど、 相手が次第に追い詰められていくのを遠くから眺めるというのも面白かったかも知れない。






329: 名無しの心子知らず 2015/09/20(日) 15:05:56.92 ID:ciP/gUKA.net
相談よろしいでしょうか?
性的な話になるので不快な方はスルーしてください、
またスレ違いになるようでしたらすみません。

小6の娘がいます。今年の春に初経が来たのですが、
11月にある修学旅行と生理の日が被ってしまったらどうしよう
ということで悩んでいます。

家だと、夜は量が多い日など夜用の大きいナプキンを付けていても
ズボンやシーツを汚してしまうことも多く失敗が怖いということ、
友達と生理についての話をしたこともないので、
もし生理であることが周りにバレてしまったら恥ずかしいということで
娘は、
もし修学旅行当日に生理だった場合は行きたくない
と言い出す始末です。

夜ズボンやシーツを汚してしまうかもしれないということに関しては
ショーツ型のナプキンを付ける、下着を二重に履く、
シーツの上にバスタオルを敷くなど、対処法を取ることが出来ますが、
どちらかというと
「周りの子に生理だということがバレるかも」
ということのほうが深刻な悩みのようです。

小6なので娘以外に生理が来ている子はいるでしょうし
生理というのは女性なら誰でもなることなので、恥ずかしくないし
別にバレたってなんにも問題がないことだよ、とは
何度も言っているのですが
娘としてはどうしてもバレるというはとても嫌なことのようです。

でも親としては、そういう理由で修学旅行を休んでほしくないし、
気にせず楽しんでほしいです。
このことで最近は何度も話し合うのですが、そのたびに意見はすれ違い、
結論が出ず娘が泣いて終わります。

結局は、娘の心の問題なのですが「生理になったら行きたくない」
「生理だと絶対にバレたくない」という娘の心境を
どうすれば変えられるでしょうか。


1: 以下、VIPがお送りします 2015/08/20(木) 20:39:11.069 ID:CoUrnhDf0.net
勝手に夕飯食べようとしてたから
家族揃うまで待ったら?
→号泣して翌朝まで引きこもり

助手席座るならシートベルト付けてくれる?
→号泣、助手席で意地になって動かないので買い物断念

何言ってるか分からなかったので
え?何言ってんの?
→ふて腐れて足音大きくしてどっか行って翌朝まで引きこもり

スマホばっかして成績が下がったと聞いたので
勉強もしろよ
→号泣、嫁に泣きながら電話して何故か俺謝罪

俺そんな悪いかな?
難しい年ごろだから理解してと言われても困るんだが
娘を無視する父親になれば良いの?

492: 1/5 2006/02/13(月) 05:50:13 ID:Ksv7Zq5b
俺には母親がいない。
俺を産んですぐ事故で死んでしまったらしい。
産まれたときから耳が聞こえなかった俺は
物心ついた時にはもうすでに簡単な手話を使っていた。

耳が聞こえない事で俺はずいぶん苦労した。
普通の学校にはいけず、障害者用の学校で学童期を過ごしたわけだが、
片親だったこともあってか、近所の子どもに馬鹿にされた。
耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない(というか知らない)が
あの見下すような馬鹿にしたような顔は今も忘れられない。

その時は、自分がなぜこんな目にあうのかわからなかったが、
やがて障害者であるということがその理由だとわかると
俺は塞ぎ込み、思春期の多くを家の中で過ごした。
自分に何の非もなく、不幸にな目にあうのが悔しくて仕方がなかった。

だから俺は父親を憎んだ。
そして死んだ母親すら憎んだ。
なぜこんな身体に産んだのか。
なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。

手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。
ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、
ただただ、涙を流し「すまない」と手話で言い続けていた。

その時の俺は何もやる気がおきず、荒んだ生活をしていたと思う。



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