485: 名無しさん@おーぷん 2017/03/16(木)13:41:58 ID:4ya
かなり長いです 
すみません

今から13年前私が小学3年生の時の話
冬休み明けで午前で学校が終わって正午くらいに帰宅すると
母親が家の中で倒れていたのが人生最大の修羅場

倒れる直前まで抱っこしていたであろう妹(生後4か月)は
床に転がってひたすら泣いて声が枯れていた
今思えばこの大泣きが原因で妹は今でもハスキーボイスなのかも

とりあえず妹にミルクをあげて母親に状況を聞くと、
午前10時くらいから倒れていたらしい
救急車を呼ぼう、父親に連絡しよう、(母方)祖母に連絡しよう、
近所の友達の家に連絡しよう、何を言っても母親は大丈夫しか言わなかった
床でずっと倒れさせているわけにもいかないから、
170cmの全身に力の入ってない母親を引きずりながらおんぶしてベッドにどうにか運んだ
途中すべって母親をずり落しちゃってストーブに思い切り頭ぶつけちゃった
そういえば午後から友達と遊ぶ約束していて迎えに来られちゃったけど
その時はどうにか断った気がする

妹は寝て静かになったけど母親は頭が痛いって言ってて、
どう見ても寝てれば治るタイプの頭痛じゃない
本当は救急車を呼びたかったけど母親が大丈夫っていうから
とりあえず父親と祖母に(これも止められたけど無視して)連絡した
トラック運転手だった父親と、
同じ市だけどバス2本乗り継がなきゃいけない祖母の
どっちが最初に来たか覚えてないwww

まあどちらかが来て救急車呼んで搬送されたのは夕方になっていたのは覚えている
母親は33歳で脳梗塞になった 
処置が遅れたことが原因でかなり重度の左半身マヒが残った
私が独断で救急車を呼んでいればマヒはもっと軽く済んだ 
私が何もできなかったから障害が残った

間はしょるけど母親の介護やトラブルの後始末等を
私が自分を犠牲にしてやり続けるのは私なりの罪滅ぼし
苦しいし楽じゃないし何度も投げ出したいと思ったけど
母親がタヒぬまで私の心の修羅場は消えない

搬送された母親について行ったかとか次の日の学校はどうしたかとか
何故だか思い出せないのが今書き込んでてわかったwww
友達の家族がお昼ご飯代金をくれてコンビニの冷やし中華を食べたのは覚えているけど、
倒れていたその日友達と遊ぶことは断ったはず
全然食欲がなくてちょっと食べては落ち込んでっていうのを繰り返したのも覚えている
いつ食べたんだろう

搬送された次の日からは祖母が家のことをしてくれた気がする
スナックのキッチンで働いていたからどうにか両立していたのかな
母親のお見舞いに初めて行ったのはいつだっけ
泣きそうな震えた声だけどでも心配させないように私が不安にならないように笑いながら
「動かなくなっちゃった」って言っていたのはちゃんと覚えている 

私と祖母はどうにか泣かないようにして
母親と同じく笑って頷くことしかできなかった