対立


206:名無しさん@おーぷん2016/10/16(日)14:16:02ID:KjE
痴/漢被害や変質者遭遇の話をすると、男女の反応差がかなり大きい

私も生まれてから25年間、おじいさんから付きまとわれたり、露/出魔と遭遇したり、
電車での痴/漢行為の被害も何度か
小学生の頃が一番ひどくてまる一年ストーカーと戦ったこともある

女性たちは少なからずそんな経験を一度はしているので、
何かあると会社で
「何番線の駅のホームでこんな人がいた」
「どこそこ近辺の何時頃にこんな集団が勧誘を」
「夜勤のとき駅までの道でこんなことが」
など情報共有してお互い注意を促したりしてる
会社の最寄り駅はJRと私鉄があるんだけど、
JRまでの道で変な男性があらわれるようになった
一応フェイク込で書きますが、
その人は常に女性用のエプロンをつけていたのでエプロンおじさんと呼ばれてた
その人は犬のマーキングのように数メートル間隔で立ちションをしていた
そして気に入った女性にはべったり付きまとって離れない

女性社員の間では危険人物として広まり、何人かでまとまって帰ったりと自衛していた
エプロンおじいさんがあらわれてから少ししてその人が障がい者であることが判明した
それでも女性にとって怖いことに変わりないし、
みんなしてあの人嫌だ、現れなくなってほしいと話していた
するとそれを聞いていた正義感の強い男性が
「障がい者になんて物言いだ、受け入れてやるべきだ」と怒り出した

それにつられて他の男性も
「前から思っていたが、ここの女性社員は自意識過剰だ」
「自分が被害者のような話し方は不愉快だ」
「相手に勘違いさせるような真似してるんじゃないの」
「男を誘うような格好してたんじゃないの(皆スーツ姿ですが?)」
と女性悪の意見が出るようになった

男性はどうにも
「性/的被害や嫌がらせにあうのは美人か誘うようなはしたない格好をしてる女だけ」
という思い込みが根底にある人が多いと思う

大学生の頃にベンチに座っていたら白い液体をかけられた美人の女性社員には
「そんな顔してスカート履いてるからそんな目にあうんだ」と言い放ち
昔からむねの大きさで悩んでいた小柄で痩せ型の女性社員には
「男の目につきたくなかったらサラシ巻いたりもできるのにしない方が悪い」
と切り捨てた

私と同じで学生の頃にストーカー被害にあい、
現状元カレのストーカーに悩まされて
会社にも相談していた女性社員の相談役になっていた40代の女性社員には
「そんな年になっていつまでストーカーの傷負ってるんだ、もう誰もお前に見向きもしないよ」
と陰口を言っていた
中には「男の気を引くような真似をしたんだから自分で責任もてよ」と言っている人もいた

一部の男性社員だけだったけど、
陰口まで内容が酷かったので社内は今男性社員と女性社員で対立が起きている
最初に正義感を振りかざした男は今でも
「障がい者(エプロンおじさん)にはやさしくするべき」の意見を変えない
普通の男性でさえ女性は力で負けるのに、
リミッターがあるのか無いのかわからない障がい者相手に
女性が何かをされて無事でいられるわけがない

男性社員はどうしてかわからないが、
障がい者にはそういった欲がない生殖能力がないかのような認識をしているようだ
「やり方を知らない障がい者ができるわけがない」とも云われた

会社では今回の問題から社員の身の安全を守るために
防犯用のスプレーを導入してくれた
会社でさえ理解が得られたのに、
頑なに女性の性/的被害を特殊な条件下でしかおこらない
と思ってる男性たちの頭の中がスレタイ

自分の嫁さんや娘が同じことされても女性の責任にするんだろうか




553: 名無しさん@HOME 投稿日:2013/06/01(土) 08:41:37.78

子供の名前で嫁と母親が対立
嫁にはずっと前から決めていた名前があるのだが母親が
「私は息子と娘に名前を義母に付けさせられたのだから孫の名前は
私が決める」
とゆずらない
妹が嫁の援護射撃で
「義姉さんが考えた名前はすごくいい」
といったら
「義母の考えたダサい名前のアンタは口出しするな」
といってしまい妹激怒

コレは収集が付かなくなると思い早めに嫁を里帰りさせた
その日から夜はずっと名前のことで親と喧嘩ばかりしてたのが
俺の修羅場


361: : 2013/09/12(木) 00:54:26 ID:mKp3kyRc0


学生時代のしょぼい話を聞いてください。

19歳の私は学内のコンパで知り合ったひとつ年下の男と付き合い始めた。
彼は一見普通そうに見えたもののこの男(実家住まい)の母親が控えめに言って相当な基地外。
二度デートして付き合うことにした三日後に「大事な息子が!年上の女にだまされてる!今すぐつれて来い!!」と大暴走して挨拶に行かされるはめになった。
一週間後に場をセッティングされ、会ったなり上から下までジロジロと嘗め回すように私を見て「地味だね」とケチをつけ、
手土産のチーズケーキを「ありがとう、でもこれキライなんだけどね」と激しいジャブ。
22のときに産んだ子だと聞いていたから当時40歳だったわけだけどハタチにもなっていない私に若さで張り合ってくる基地外ぶり。
自分の周りの40代女性(親戚か習い事の師匠しかいなかったけど)は落ち着いた大人の女性ばかりだったので
客が来るとわかっているはずなのにTVがつけっぱなしで、むきだしで傷だらけのCDを積み上げたタワー(複数)を前に
キンキン高い作り声で「そーゆーの、チョーキライなんやぁ」っていう彼の母には驚愕した。



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