パチンカス

737 :育児まとめニュース 2016/07/19(火) 10:14:23 ID:3wl
パチ〇コか・・・
むかーし、付き合ってた男がパチンカスで、付き合いでよく一緒に行った。
今みたいに子供禁止でもない時代ね。ネカフェやレストラン併設とかもなく
仕方なく、私は昔ながらのパチパチ打つ奴やってた。
だいたい千円くらいで当たりが出るから、打ち止めで5千円~一万になる。
無欲の勝利なのかね?ほぼ負けなし。
2千円で出ないと、それ以上負けるのイヤでお終いにしていたので
今思えばずいぶん荒稼ぎしていたんだよね。
当時でもスロットとか今みたいな勝った時は大きいやつが主流の時代だけど
あのスローな機種でも、みんなどんどんお金入れてたなぁ
暇つぶしだったし、玉もほとんどタバコに替えた(制限なしだったので)
私はタバコも吸わないし、元金の千円でももったいなくてイヤだったわ。
今みたいに化粧品とか雑貨が沢山あったら、もう少しやる気になったかも。
でも、欲が出たら勝てなかったんじゃないかとも思う。
パチンカスって、出る金額で燃えるんだと思うけど
私は、打った球が穴に入るかどうかにドキドキしていたわ。
ゲーセンのゲームと同じか。
でも私は稼ぎになったからなぁ。それでも熱中出来なかったけど。


292: 名無しさん@HOME 投稿日:2015/09/24(木) 12:34:48.53
私の母親は、男とっかえひっかえして夜中に小学生の娘二人を家から放りだしたり、パチンカスでサイマーだったりとホントどうしようもないクズだった 
このまま一緒に暮らしてたら人生ダメにされると高校卒業と同時に上京するバイトの同僚にくっついて家を飛び出した 
仕事はお決まりの水商売だったけど、生活必需品とか仕事の物以外の物を買ったら自分までサイマーになってしまう気がして給料の大半を貯金 
おかげで三年たつころには自分でアパート借りて、同じように逃げてきた妹と一緒に暮らせるようになった

827: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2012/02/04(土) 20:54:03.99
>ぶっちゃけ女って寄生虫だろ? 

前はこういう考え方嫌いだったんだ。
でも実際に嫁専業させて考えが変わったw 
やっぱり人間、楽を覚えるとだめだね。どんどん堕落する。 
朝起きねえ、飯出さねえ、見送らねえwww 
今は働きに出るようになって改善されたけど、
ホント楽させてやろうという夫の気持ちなんか理解しない。

226: ◆8B8X/67LrWes 2014/06/20(金)22:15:08 ID:3rxPDZKWG

自分の人生が結構な修羅場。
長いです。

幼児期の私は所謂放置子だった。
三歳で近所の公園に一人で遊びに行ってた記憶がある。
小学生になり、一時友達は出来たが段々と虐められるようになる。
小さい頃には虐められる原因が解らなかった。
大人になって幼少期の自分を振り返ると、距離感が掴めてないKY児童だったと判明した。
虐めに暴力は無かったが地味に精神を削られ続け、立派なコミュ障に成り下がる。
そんなもんで仕事もルーティンワークな仕事にしか着けず、中卒で就職し底辺な暮らしをしていた。
成人した翌月、母親から保険証持って着いてこいと凄まれる。
借金の申し込みと解った私は「毎月給料の半額家に入れてるのに何でそんなお金ないん?いくら親子でもお金の事に関しては譲れない。」と頑なに断る。
結果「親が困ってる時に助けない子供は要らん」と家から追い出される。
半月は仕事を通じて巡り会った数少ない友達のお宅にお世話になりながら住み込みの仕事を探す。
地域を選ばず何処でも飛べる派遣社員になった。
居住が西日本から東日本に移った。
居候させてくれた友達には暫く働いてお金を貯めたのちに改めてお礼と言う名目で回ってないお寿司屋さんでご馳走をした。

派遣になってからは無我夢中に働いた。
コミュ障があるので自分を表現するのは下手だったが、幸いな事に仕事仲間には恵まれていた。
そこで知り合った同僚から、趣味のゲームに誘われた。
所謂オンラインゲームと言う奴。
あまりゲームに触れた事がなかった私でも、同僚のリードがあり溶け込んでいけた。
自分を反映させたそのキャラクターには支援系の職業をやらせてスキル回しやらを必死に覚えた。
ゲームの世界で、誰かから必要とされる気持ちを貰ってPC前で一人で泣く事もあった。
そんな世界で知り合った人達と飲み会をする機会があった。
自分が参加して良いのか解らなかったから黙っていたけど「貴女も参加するよね?ってかおいでよ!」と言われて嬉しくて参加表明した。
そこで色んな年代の人達とワイワイ楽しく飲みながら、少しずつ自分らしさを見つけて行った。

ある日、その世界の一人の男性から告白をされた。
飲み会であった時から気になっていたと言われた。
告白されるのも始めてで返事に困っていると「急がなくていいよ。」と言われ、暫く返事を保留にしていた。

少しずつ距離を狭めていって、正式にお付き合い開始。


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