成人

894: 愛と死の名無しさん 2011/04/09(土) 23:14:13.94
父がちょっと不幸だった結婚式。
姉の結婚式を近親族のみで、沖縄でする事になった。
大好きな祖母にも出席して欲しかったが、祖母は80歳近い年齢で、
足が悪いし、杖が無いと移動が難しい。
そこで父が「俺が面倒見る!」と宣言。(母死別でいません)
姉達もプランナーや旅行会社に車椅子等の用意を頼み、
無事、出席の運びとなった。
ほっとしたのもつかの間、
父、出発の2日前にちょっとした事でギックリ腰になり、自分が
車椅子にて移動するハメに。
結婚式では、何故か元気一杯になった祖母が、嬉々として父の車椅子を押して、
バージンロードは歩くし、次の日にグラスボートに乗って船酔いで、
動けなくなった私の面倒も一緒に全部見てくれて、
結局祖母に全部甘えた式+旅行になってしまった。
父は凹んでいたが、新郎親族には
「元気なおばあちゃん」として評判良かったし、
私達は祖母が楽しそうだったから、良かったと思う。




45: 愛と死の名無しさん 2011/03/05(土) 15:30:08.80
子供で思い出した。
私たち新婦友人がやや不幸だった結婚式。

数年前、高校時代の友人の結婚式と披露宴に出席した時のこと。
式と披露宴は滞りなく進み、新郎新婦がお色直しで席をはずした時、
新郎伯母という人がビール瓶を持って新婦友人テーブルにやってきた。
「うちの息子もお見合いしてるんだけど、なかなかよいお相手が見つからないの。良かったら会ってもらえないかしら」
と言うのだが、よくよく話を聞いてみると、息子さんは50歳とのこと!
(ちなみに新婦友人たちは20代後半~30代後半くらい)
やや引いている私たちに面接のごとく質問を浴びせ始める伯母さん。
新婦との関係、学歴、仕事、居住地、兄弟構成などなど。
最初は新婦同僚だという清楚な美人が気に入ったようだったが、
彼女が36歳と聞くや能面のような表情になり
「申し訳ないけど… 息子は子供が欲しいと言っているから」
美人呆然。私たちも呆然。
その後私の所にも来たが、出身大学を聞かれて答えたらまた能面のような顔になって去って行った。
最終的に、新婦の大学友人だという28歳の派遣社員の人と、新婦同僚の32歳のお嬢様大学卒の人がロックオンされ
しつこく連絡先を聞かれていた。

ちなみに50歳の息子さんという人は出席してなかったので、どんな人かは分からないけど
50過ぎて子供が欲しいとか抜かしているのが本当ならろくな男じゃない予感。
新郎新婦が新郎45歳、新婦28歳という年の差結婚(ただし恋愛結婚)だったので、
伯母さんは自分の息子もいけると思ったのかもしれないけど。

伯母さんの動きはあとで新郎新婦の耳に入ったらしく、二次会の前に新郎に
「伯母がたいへん失礼なことをしたようで、申し訳ありませんでした」
と謝られた。


356: 愛と死の名無しさん 2010/10/19(火) 02:04:33
グチグチ言う新郎母って、多いのかね?
以前出た、不幸な結婚式。

事前に「反対するなら式出るな」と新郎と新郎父が言った為
しぶしぶ結婚を認めて口をつぐんだ新郎母。
でも、我慢できなかったのか披露宴会場に移動する時には
グチグチと新婦の悪口。怒った新郎姉妹に「黙らないなら追い出す」
と凄まれて再び沈黙するも、またグチグチ言い始める。

お色直しの時に、新郎から呼ばれて控え室に行った後、真っ赤な目をして
帰ってきた。あー〆られたんだな。と察しておいた。
その後は大人しくて、親族一同ホッとしていたら、最後の新郎父挨拶でやってくれた。
「新郎ちゃん、新婦は料理なんてまともに作れないだろうから、同居しましょう。」
「お父さんも同居のほうがいいでしょ?そうしましょうよ!ね?」
なんて声をマイクが拾ってしまい、会場に駄々漏れ。
怒りで震える新郎に、泣きそうな新婦、顔面蒼白の新婦両親、固まってる新郎父。

固まった新郎父からマイクを奪い「僕は、今日限り母と縁を切ります。僕の家族は新婦です。
一生守ると誓いましたが、今、改めて皆さんに誓います」と言い、新郎母を引きずって出て行った。
ふじこっている新郎母は、普段の肝っ玉母さんからかけ離れていてショックだった。
幸い、二人は仲睦まじく暮らしており、新郎・新郎父・新郎姉妹が、後日お詫び行脚したからか、
新婦両親や新婦親族とも上手くやってるようです。

ちなみに、私は新郎姉です・・・


351: 名無しさん@HOME 2011/06/05(日) 18:55:19.75 0
数年前の話

兄…長男。地元で一番の国立大学を出て国家公務員になった。ずっと実家暮らし
私…長女。地元を離れて進学し就職して一人暮らし
妹…次女。おとなしくて真面目。絵がうまい。地元短大を卒業してずっと実家暮らし
弟…次男。末っ子。私と同じく地元を離れて進学就職したが近県なため私より頻繁に帰省している。

父…元教師
母…元看護婦

私の現在の住居と実家は飛行機でないと帰省しにくい距離。
なので成人式で帰省したのを最後に5~6年ほど帰っていなかった。
両親とも長男で優秀な兄を溺愛していたから
私のことは放任していてくれたのを「楽でいいや」とずっと思っていた。

あるとき、高校時代の友達の結婚式に合わせて帰省した。
帰る前に母に連絡して
「みんななにも変わったことないー?」
「べつにないよ」
ってやりとりをしたから変わりないんだろうなと思っていた。


268: 名無しさん@HOME 2013/08/20(火) 23:55:18.64 0
父親が刑務所入って
そのことに絶望した母親が出て行った
兄と自分は親戚に引き取られたけど針のむしろ
この辺も結構な修羅場だったけど
後に冤罪だったことが発覚して帰ってきた父親に
誰も俺を信じてくれなかったと罵られたのが最大の修羅場だった


266: 名無しさん@HOME 2013/06/28(金) 00:02:59.80 O
私は彼氏いない暦=年齢で、昔DQNに囲まれて怖い思いしてから男も苦手な生粋のの喪女。
そして体重3桁目前のデブ。

ある日祖父が「私子が太ってて彼氏もいないのは呪われてるせい!」と言い出した。

家族みんなポカーン。

ちょうどその時、祖母が末期癌告知されたり、父が尿道結石再発?したり家族に悪いことが起きる→こりゃなんかおかしい!
って思った祖父は、家相とか敷地の配置を調べてみたらしい。
我が家は20年前に建てた家。当時の家の裏に建てはじめて、その時物置の一部を潰して完成した。
それで敷地内の配置とか家相もろもろが悪いとかなんとか。
そのせいで私が一身に悪いものを受け止めてデブだし、男運もないって結論に至ったとか。
必死に熱弁してるんだけど祖父がボケたのか…って家族全員修羅場。
ボケたとかじゃなくて、本人的には大真面目だったんだけど。
(その後リフォーム案出してきて、父に〆られてた)

私にとってなにより修羅場だったのは、その後祖父母が寝たあとにみんなに痩せろ!彼氏つくれ!コールされたこと。
デブだけど小中高とずっとソフトボールをやってる。
今も時々先輩のやってるチームに混ぜてもらって、運動してるはずだけどぜんぜん痩せない。
そもそも小さいころからの写真見ても、痩せてる写真なんかひとつも無い。
祖父的にはそれも「呪われてる」一員になるんだろうなーとは思う。
あれから早朝にジョギングはじめたけど、一向に痩せる気配がないので願掛けカキコ。

彼氏に関しては諦めてます。


492: 名無しさん@HOME 2011/12/27(火) 19:02:52.54 0
うちは農家。
長男の俺も、弟も妹も別の職業に就いたんで父の代で廃業することに決まっている。
母は姑、小姑にいびられて苦労した人。親父は空気。
ガキの頃からそんな両親を見てきて親父のようにはなるまいと思ってきたし
母も「あんたはお父さんみたいにはならないで」とよく言っていた。

月日は経ち、ある年のGW、嫁さん候補を連れて俺は実家に帰った。
その場ではなごやかに紹介も済んでわきあいあいと飲んで食って楽しんだんだが
二ヶ月もしないうち、彼女に別れ話をされた。

え?なんでなんで?と理由を言い渋る彼女に食い下がると
「あなたのお母さんが…」と言われた。
実家に連れて行ったあの日の翌々日から、ずっとうちの母から携帯に脅迫メールと電話が
毎日毎日かかってくるとのことだった。
「まさかそんな…勘違いだよ」
「俺の母は嫁いびりされてきたし辛さはわかってるから、きみにそんなことするわけない」
と言ったら携帯を見せられた。
マジで母だった。


395: 名無しさん@HOME 2011/11/09(水) 19:17:32.02 O
娘さんを僕に下さいと言いに来た夫に父が
『私子は胸がないが本当にいいのか。後悔しないか』と言った。
私と母は台所にいて聞いてなかった。
夫と談笑してるときにぽつりともう時効かなと暴露された。
父から最近夫くんとはどうだとメールがきたので
『Aカップだけど大切にしてもらってます(*⌒▽⌒*)』
と返したらしばらくして母から
『Aカップのお母さんがしっかり怒っておきますので安心してください』
と返ってきて実家が修羅場になって以降、父は母に頭が上がらない。


485: ◆V0yLsqmG.2 2011/11/10(木) 20:24:12.16 0

恋人もいたことないのににカップル板に誤爆しちゃったので再投下。

 私の母は所謂美魔女というやつで、もうすぐ半世紀生きるというのに30代前半に見え、未だにナンパされたりしている。
そんな母と私は正反対で、例えば
・私の顔にニキビが出来た 私「青春の勲章」母「○○ちゃん(私)のニキビが気になって仕方ない、皮膚科行きましょう」
・ファッション 私「やすけりゃOK。」母「サマンサタバサの鞄かわいいから買っちゃった」
・好きな食べ物 私「白米と味噌汁」母「ロコモコ丼とグリーンカレー」
・メールの返事 私「ん」母「わかったよぉ(絵文字とデコメ)」
・容姿 私…父親似 母…近親の中に芸能人がおり、美貌で有名な一家出身の元モデル


971: 名無しさん@HOME 2013/08/06(火) 20:29:34.75 0
1回目の結婚での話だけど。
とにかく私は若かった。
愛があれば何でも乗り越えられると思っていた。
結婚したのは21歳の時。
相手は3つ年上の24歳。結婚した時は7人兄弟の次男だった。
結婚後、9人兄弟の次男になったw
どこかの子沢山番組の奥さんの真似して
「特技・妊娠」なんて言っちゃう明るい義母だったけど
結婚して分かったのはただのアホだった。
義父は一応ちゃんと働くサラリーマンだったけど
やることはやるけど、子育てにはノータッチと言う感じで
いつも部屋の隅で黙って瞑想していた。
週末ごとに元夫の実家に通わされて
その時には前日から土産用の料理を作らされた。
最初のうちは私の料理をみんなが奪い合うようにして
美味しそうに食べてくれるのが嬉しかったけど
体調を崩して作れなかったときに
それでも用意しろと元夫に強要されて
熱もあったので拒否して寝込んでいたら蹴飛ばされたことがあって
それで自分の馬鹿さに目が覚めた。
元夫の実家が貧乏なのは分かってたけど
それは子沢山だからだと思ってた。



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