2014年03月

64: 名無しさん 2014/03/21(金)21:14:03 ID:DwujyTG6x
俺は学年の中ではデブヲタの扱いだった。
その辺は自他共に認める所でもあったが、嫌がらせをされているとかはなく、
体型をちょいちょいイジられる程度だったので何の不満も無く
なんならオイシイ扱いだなって思う位だった。
ところがクラスメイトのKが、ある日を境に名字が変わったんだ。
多分両親の離婚だったんだろうけど、そこからKの学校生活の態度が豹変。
一気にDQN化して暴れ始めて、そのうち矛先が俺に集中しはじめた。
最初のうちは、周りの同級生も止めてくれてたんだけど、そうすると
その矛先が止めた奴に向くのな。
そのうちそんな面倒な事を周りも避け始めて誰も止めてくれようとしなくなった。
その辺は俺も恨まなかったよ。
多分俺だってそうしてただろうなって思った位だもん。
そのうち俺も学校に行くのが憂欝になってきて休みがちになってた。



868: 名無しさん@HOME 2014/03/09(日) 15:16:25.78 0
実家の母は兄家族と同居している。
私と弟は既婚で、実家から少々離れた所で暮らしている。

実家に弟嫁がちょくちょく訪ねてくるようになったそうだ。
母を連れ出してくれることもあったらしい。
ある日、母が兄に「(弟)の所へ行くことにした」と宣言してきた。
今母たちが住んでいる土地(母名義、建物は兄夫婦名義)を兄に売却して
そのお金で弟夫婦の家を建て、そこで3人で同居することにした、と言ったそうだ。
驚いた兄が弟夫婦を読んで、どういうことかと話を聞くと
弟が家を建てるのは事実、母に援助してもらいたいのも事実、親と一緒に住むのも事実。
ただ一つ違うのは、「親」とは弟嫁の母親で、
うちの母と同居するつもりはないということ。
母が「弟嫁さんは私と住むと言った」と主張するも
弟嫁は
「私はお母さんと住むって言っただけ。こっちのお母さん(私の実母)とは一言も言ってない」
と反論してきたそうだ。
弟も兄も紛らわしい事を言うなと弟嫁を叱ったらしいけど
「嘘はついてない、勝手に思い込んだお母さん(実母)が悪いんです」
と言って交渉決裂。
母が兄夫婦に詫びを入れ、弟たちには援助しない事で話がまとまった。
弟嫁は「約束が違う」と怒っていたらしいけど、
援助してほしいなら正々堂々と申し込んできなさいと兄に諌められ
弟に連れられて帰って行ったそう。

・・・という話を兄嫁から半年もたってから教えられた。
「たまに優しくされると情にほだされちゃうんだろうけど、さすがに凹んだわ~
もう吹っ切れたから私ちゃんに話すけどね」
と明るく言ってくれた兄嫁さんには頭が上がらないっす。
つーか弟嫁、お前は地獄に堕ちろ。


802: 名無しさん@HOME 2014/03/09(日) 16:17:32.62 0
義兄嫁に呼ばれて指定のお店に行ったら、個室が取ってあってびっくりした。
そこで義兄嫁に頭を下げられた。高3の長男の学資を出してほしいって。
入力ミスで無く、出してほしいです。
義兄宅は三人子持ち。長男高3 次男高2 三男中2 。
長男が今年受験で三校受けたそうだが、滑り止めしか受からなかった。
成績がすごくよくて、難関私立と中堅私立を二つを受けたそうだ。
難関私立でも楽勝と言われていたのに、中堅私立のしかも偏差値が低い方しか
受からなかったとか。

本人は浪人したがったが、すぐ下に年子の弟が居て来年は三男とW受験なので
とても無理だからと義兄が中堅私立の手続きをしてしまったそうだ。
一年分の学費+入学金を支払い手続きもしたら
なんと難関私立から補欠合格の知らせが来たそうだ。
その手続き期限がもうすぐだから、どうしてもその難関私立に入れて
あげたいからと義兄嫁が泣きながら言うのです。
義兄は中堅私立一年分の学費を捨てることは無理だから諦めさせろと
言っているそうです。

義兄嫁実家にも頼んだそうですが、お父さんが亡くなって
お兄さんの家に引き取られているお母さんは、生活費に年金のほとんどを
兄嫁さんに渡している状態でとても出せないと断ったたそうだ。
お兄さんのところの子供達は全員高卒で就職しているので
お兄さんに話したら「大学に行けるだけまし。俺んちに対する嫌味かと」
言われて断られたそうだ。ちなみに義実家はもうない。義両親ともに亡くなっている。
普通のサラリーマンだったので残ったのは古い一軒家だけで
義兄が全部相続して、家を壊して新築して住んでいる。
弟にあたる私の旦那は相続は放棄した。
その代り墓を義兄が作るという約束だったが、義両親ともに永代供養にして寺に預け
法事も四十九日以来してないので、旦那と義兄は仲が良くない。


351: おさかなくわえた名無しさん 2014/03/10(月) 23:00:17.59 ID:1k1BtEZB
今月限りで異動する小学校で同僚だったTって女教師。
5年生を担任してたTは本来なら昨年度で異動だったけど、どうしても一緒に卒業したいと校長に直訴してもう1年残留、Tの希望する6年生の担任をする事になった。
しかし昨年の夏休み後、妊娠が発覚しそのまま結婚と1月から産休に入る事になった。
突然の事にその辺の経緯を知ってるいる周囲は唖然。代わりの担任を誰にしようかと悩む学校幹部(発表前日に知らされたらしい)しかし6年生と関わりのある先生は他の担任や異動で一人も残っておらず、仕方無く講師を依頼して充てる事に。
校長達も子供と講師との事を考え、婉曲にもっと早く産休に入る事をTに提案するが、Tは少しでも長く子供と一緒に居たいと主張。秋の社会見学も出っ張った腹で参加。
結局年明けから来た講師の子も1月からの2ヶ月程では殆ど子供と接する時間も無く、卒業式も卒業証書授与の時もそのクラスだけ何とも白けた雰囲気。当然保護者からも不満げな声無き声がチラホラ。
卒業式にはTからの祝電が届いていたけど、式では読まれず掲示だけされた。
多分復職しても陰口叩かれるだろうけど、希望しといて無計画な同僚にスレタイ。


395: おさかなくわえた名無しさん 2014/03/14(金) 10:57:55.23 ID:GHFY/bN9
一年くらい前のこと。
大学から帰ってバイトも無かったから一人暮らしのマンションでいつも通りくつろいでたら、夜の11時くらいにチャイムが鳴った。
誰だろと思って覗き穴から見てみると見知らぬおっさんが。
「どちら様ですか?」
「○○(苗字)です」
知らん。
「あの……どちら様でしょうか?」
「○○です。○○A子の父親です」
一瞬、だから○○A子って誰だよって思ったんだけどすぐに思い出した。
中学時代付き合ってた元カノで、別々の高校になってからは自然消滅した感じで別れた女の子の名前だった。
「あの、ご用件は?」
「少し娘のことでお聞きしたいことがあります」
こんな夜遅くになんだよ、とは思ったものの相手の態度も冷静だったし、なんかあったのかと思って、とりあえず扉越しに話すのも失礼かと思ってカギ外して扉開けたのが間違いだった。
玄関開けるなり俺の顔面に衝撃。尻もちついた。目の前がチカチカして何が起こったかわからんかった。
鼻っ面おさえて涙目で見上げると、A子の親父さんが鬼みたいに顔真っ赤にして
「テメエか娘を傷物にしやがって!!ぶっ殺してやる!!」(原文
なんのこっちゃと思うよりも先に親父さんが殴りかかってきてマウントみたいな態勢で何回か殴られた。
気が付くと俺は親父さんの腹に蹴り入れて部屋の奥に逃げてた。頭の中は完全に???だったけど体が勝手に動いた感じ。
どっか痛いとこに入ったらしく親父さんがお腹抱えて蹲ってて、なんでか知らんが「だ、大丈夫ですか?」とか間抜けた台詞で声掛けてたら、親父さんが背中のほうのベルトからなんか取り出した。
それが包丁だって気付いた時、俺は完全にパニックになって、狭いマンションの部屋の中でしばらくテーブル挟んでガバディみたいな動きで逃げ回ってた。
何回か喚きながら包丁突き出された覚えがあるんだけど、あれは我ながらよく避けれたなと思う。
最終的には部屋の隅に置いてあった中学時代に京都のお土産で買った木刀で親父さんの腕を何回か叩いて包丁を取り上げた後、手首抑えて呻いてる親父さんをすり抜けて玄関から出て、騒ぎを聞きつけて表に出てたお隣の旦那さんに通報してもらった。
つづく。


140: 名無しさん@HOME 2014/03/10(月) 16:31:46.91 0
大分前に別れた元旦那の話で申し訳ないけど吐き出させてください。
全部元がつきます。

結婚後、夫と私は田舎から東京に出てアパートを借りて暮らしていた。
1年後に娘が産まれ、私がまだ入院している時、見舞いに来た夫が
「俺の実家で暮らすことにした。嫁子の荷物ももう全部運んであるから。」と…

自営で大型トラックを使う仕事をしていた義実家。
そのトラックに荷物を積んで、ウトが義実家まで運んだらしい。
はぁ?何の相談もなく直前に言うか?
と思いながらも仕方なく産まれたばかりの娘を連れ、義実家へ。
ウトメ・大トメと同居開始。

私は小さな土産物屋に就職したが、夫は義実家の自営業を手伝うことに。
ウトは「給料は夫にもちゃんと払うから」と言っていたのだが
一度も支払われたことはなかった。

そのため、私が稼いだお金だけ(手取15万)で、私・夫・娘の生活費を全て賄わなければならなかった。
それでもその中から細々と娘の将来のために貯金をしていた。
同居開始から4年後に次女も産まれたのでその分も貯金を続けていた。

長女が中学生になったころ、娘たちの預金口座をチェックすると、
合計100万ほどあったはずのお金が全て無くなっていた。

夫を問い詰めると、「義実家の借金返済のために使った。」とのこと。
借金があることは知っていたが(無理矢理保証人にされたことがある)
詳しく尋ねると、義実家には800万の借金があるとのことだった。


41: 名無しさん 2014/03/18(火)13:02:11 ID:wluWsXoR1
私が小学校に入学する直前に母が再婚した。
義父にはもちろん遠慮もありながらも普通に暮らしていた。
義父側の親戚にも初孫といってかわいがってもらって嬉かった。

小学4年にあがった頃、母が長年わずらってた腰痛がひどくなり
手術とリハビリで半年ほど隣町の大きな病院に入院することになった。
私は近所にある母方の祖母の家で過ごすことになった。
義父は仕事の関係で長期出張があったりもするので、義父と二人で母を待つという
選択肢は家族の誰も持っていないようだった。正直ほっとしていた。
義父と二人で過ごすと思うと、やはり多少気が重い部分があったので。

母が入院して数ヶ月たったある日曜、その日もいつものように
親戚の車に乗って隣町の病院の母のところへ。
お見舞いに頼まれたものがあると病院の前にスーパーで親戚と
買い物をしていた時、ふと目に留まった人がいた。

義父が見知らぬおばさんと腕を組んで買い物をしている光景だった


461: おさかなくわえた名無しさん 2014/03/17(月) 04:06:29.46 ID:I1Z0Glna
割り込みすまん

当方大学生♂で10歳上の姉(既婚・妊娠中)がいる
この腹の子が自分の種じゃないと言う義兄と浮気してないと主張する姉のせいで我が家が修羅場
この修羅場のおかげで最近会えなくなったためか俺カノが浮気
そのカノの浮気相手が義兄だと知って俺が修羅場

いっそ失踪でもしてやろうかと俺計画中


551: 名無しさん@HOME 2014/03/18(火) 03:59:16.37 0
母親が昔から健康食品のマルチにハマっている。
幼い頃からそれらを食べることを強制され、病気をすると病院には連れていってもらえず、「もっと商品を食べろ」と怒られた。
だから薬なんて飲んだことがなかったし、怒られるのが嫌で体調を崩しても何も言わないようになった。
母親の悩みを聞いてアドバイスした後、上手くいくと「商品のおかげだ」と言う。
私が悩んでいると、「これを食べれば解決する」と言う。
昔は母親を無条件に信じていたから大人しく口にしていたけど、ここ数年はもう疑惑の塊。
別に個人がハマるのは自由だと思うし、実際の効果がどうとかは興味がない。
だけどそれを強制はされたくない。そう思うようになって一気に嫌悪感が増した。
たまに母親が私に代わり料理を作るときがある。それに全部、そこが売ってる商品をどばどば入れているのを見てしまった。
揚げ物にも、サラダにも、白米にも、お味噌汁にも。調味料も謎の粉末が入った自家製。
気持ちが悪くなってしまって、母親の料理が喉を通らない。最近は母親を台所へ立たせたくないから毎日私が作っている。
それに母親はぶつくさ文句を言うので、「気持ちが悪い、まずいから嫌だ」と告げると、
「あんなに美味しいものがまずいだなんて!今まで私が育ててきたのに、こんな悪いものを食べるからあんたの体は壊れた!」と発狂され料理を捨てられた。
実際、死ぬほどまずいと思ったものをおいしいおいしいと母親は食べるのだが、その姿を見ているともはや狂気しか感じない。
中学生の頃に無理やり連れて行かれたセミナーで見た人たちも、決しておいしくないものを喜んで食べていた。
で、その母親に来月買い物に行こうと誘われて、軽い気持ちで承諾したあとちょっと違和感があったのでこっそり母親のスケジュール帳を見たら…
例のセミナーの予定が入れられていた。騙されたショックと、またあの宗教じみた場所へ連れて行かれるのかと思うと気持ちが悪い。
下手に断ればまた発狂されるのが目に見えてるしどう逃げようか悩みながら心の中が修羅場。


840: おさかなくわえた名無しさん 2014/03/17(月) 23:09:43.17 ID:U6OAHybL
修羅場と言っていいのか分かりませんが、大嫌いな父親の話。

私が小学三年生の時に職場の人と浮気をした元父。
私の他に歳の離れた姉と兄がいて、子供には父親が必要と考え母は一時離婚をして
別居をしていましたが、再構築を決めました。
これが良い判断だったのか、悪い判断だったのかは今でも分かりません。

この元父が非常に屑で、機嫌が良い時は害はなかったんですが、機嫌が悪い時は
怒鳴る暴れる手がつけられない。
姉と兄が反抗期を迎えた時なんかは、それはそれはもう家中荒れました。
そんな光景を幼い頃から見ていた私は、元父には絶対逆らってはいけないと学び、
常に元父の顔色を伺いながら過ごしてきました。
そんな自分に逆らわない、人形のような私が元父は気に入っていたようで、
毎度毎度休みの度に外に連れ回されてました。どんなに体調が悪くてもニコニコしながら
私は元父と遊びにいっていました。もうこの頃には元父が嫌いだったと思います。
そんな私が反抗期を迎えるはずもなく、いい子ちゃんのまま日々を過ごしていました。

途中、中学校一年生の時に私が転校しなければいけなくなり、姉と二人暮らしをしていたんですが、私が不登校になり、
実家に帰ってきた等色々ありましたが、ここまではギスギスしていながらも、うまくやっていたと思います。



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