2014年02月

266: 名無しさん@HOME 2013/06/28(金) 00:02:59.80 O
私は彼氏いない暦=年齢で、昔DQNに囲まれて怖い思いしてから男も苦手な生粋のの喪女。
そして体重3桁目前のデブ。

ある日祖父が「私子が太ってて彼氏もいないのは呪われてるせい!」と言い出した。

家族みんなポカーン。

ちょうどその時、祖母が末期癌告知されたり、父が尿道結石再発?したり家族に悪いことが起きる→こりゃなんかおかしい!
って思った祖父は、家相とか敷地の配置を調べてみたらしい。
我が家は20年前に建てた家。当時の家の裏に建てはじめて、その時物置の一部を潰して完成した。
それで敷地内の配置とか家相もろもろが悪いとかなんとか。
そのせいで私が一身に悪いものを受け止めてデブだし、男運もないって結論に至ったとか。
必死に熱弁してるんだけど祖父がボケたのか…って家族全員修羅場。
ボケたとかじゃなくて、本人的には大真面目だったんだけど。
(その後リフォーム案出してきて、父に〆られてた)

私にとってなにより修羅場だったのは、その後祖父母が寝たあとにみんなに痩せろ!彼氏つくれ!コールされたこと。
デブだけど小中高とずっとソフトボールをやってる。
今も時々先輩のやってるチームに混ぜてもらって、運動してるはずだけどぜんぜん痩せない。
そもそも小さいころからの写真見ても、痩せてる写真なんかひとつも無い。
祖父的にはそれも「呪われてる」一員になるんだろうなーとは思う。
あれから早朝にジョギングはじめたけど、一向に痩せる気配がないので願掛けカキコ。

彼氏に関しては諦めてます。



965: 名無しさん@HOME 2012/08/14(火) 17:27:59.01 O
自分で思ってたよりも修羅場だったこと
小学生の時に学校に姉を殺されかけたらしい
姉は生まれつき病弱で虚弱
当時通ってた小学校の体操着は半袖ブルマのみ(男子はショートパンツ)
真冬でも「子供は風の子」精神で私服も薄着推奨で厚着してると先生がネチネチ言ってたそうだ
おかげで姉は冬はずっと風邪ひいてた記憶がある
母は「身体の弱い子なので体育は上着着させて、厚着に嫌味言わないで」と言ってみたが
「そうやって甘やかすからいつまでも丈夫にならないんです!」と返されたと
そのうち無理が祟って肺炎やって入院
これが第一の修羅場


612: 名無しさん@HOME 2010/10/16(土) 07:33:38 0
10年以上前の話です。

お風呂に入ってる時に元夫がシャワーを熱湯にして、ぶっかけてきました。
その後、飛び出して服を着ようとするも全裸の状態で髪を引きずり回され殴り倒されました。
殺されると思ったので何も着けずにマンションを飛び出しました。
逃げる私を包丁を持って追いかけてきてエレベータを待つ時間も怖く怪談5段跳びとかでやっと1階に逃げましたが
当然私は全裸。
たすけて~と叫んでも誰も助けにきてくれず
マンションのテニスコートの裏で人目を気にしながら家の電気が消えるを待ちました。
その後、玄関側にある娘の部屋をコンコンと叩いて服、財布、娘、犬を連れて警察に行き実家に送って貰いました。
元々アル中で仕事も休んでばかり私が仕事をして生活を支えてきたのですが
生活をするだけの給料を貰うとなると男の人なみに残業しなくてはならず帰宅が遅いと浮気をしてると疑って、
犬を虐待したり子供を虐待したり私の洋服を切り刻んだり私の会社に電話して浮気相手は誰だと嫌がらせしたりする
毒夫だったけど、自分が悪いところもあるからそうさせているのかとか思って我慢していましたが
それを機会に娘、犬を連れ上京し就職しました。
その後も住民票等から家の周りを徘徊し、家に入れないとベランダから侵入をたくらみ落下。
その際の治療費、タクシー代、実家に帰る際の交通費など全て私が負担しました。
負担する条件として離婚すると警官の前で約束し支払ったのですが、実家に帰るそうそう離婚不受理届けを提出で
離婚するのに相当の気力と金額がかかりました。
幸い、娘は素直に育ち今年大学を卒業し就職することができました。
子育てでお金は右から左に流れる生活だったけど今は夜安心して眠れる事が最大の幸せです。
長文申し訳ありませんでした。


505: 名無しさん@HOME 2012/02/10(金) 22:19:20.90 0
ふと思い出した修羅場。

物心ついた時から、父は娘である私のことが心底どうでもいいようだった。
兄には甘く優しく、誕生日・クリスマス・子供の日などのプレゼントは惜しまなかったし(私には何もなし。お祝いの言葉すらない。)
昔のアルバムを見てても、兄を抱いてたり手を繋いだりしてる写真は山ほどあるのに、私と一緒に写ってる写真はゼロ。
ただ、兄は普通に私のことを妹として可愛がってくれてたし、母も兄と私を平等に扱ってくれてたので当時は特に気にしてなかった。
ここまでが前提。

小学生の頃、私はかなり酷いイジメに遭ってた。
そんなある日の学校で、いじめっ子に階段から突き落とされた上に顔面に思いっきり蹴り入れられて、左足靭帯断裂・前歯2本折れるという自体に見舞われた。
病院に行って、手当てを受けてから家に帰ったときには既に18時ぐらい(だったと思う)で、父・兄は既に家にいた。(母は私と一緒に病院にいた)

いじめっ子に対してカンカンに怒りながら、父と兄に私の怪我の事情を説明する母。
→途端に天を仰いで爆笑する父。
→「たかがいじめで病院とかwww弱すぎだろwwww」
  「顔蹴られた?どうせ汚い顔なんだから別にいいだろwwwどうせなら整形でもしてもらえばwwwww」と笑いながら言われた。
→母・兄ブチ切れ。母は台所にダッシュして包丁を、兄は護身用に部屋に置いてあった金属バットを持ってくる。
→母、父の腹を包丁で刺す。兄、バットで父の肩のあたりをフルスイングを繰り返す。
→母、途中で包丁を落とす。(後で本人に聞いた話によると、人の体を刺す感覚に「ゾワッ」となってしまい最後まで刺せなかったらしい)
→折られた歯と足の痛みを堪えつつ、泣きながら兄を止める私。

その後すぐに母・兄・私で家を出て、私だけ母方の祖母の家に預けられた。
「もしかして母と兄は逮捕されるのか?」とビクビクしてたけど、1~2週間ぐらい?経って(この辺ちょっと記憶が曖昧だけど)二人揃って私を迎えに来てくれた。
それからは二度と父に会ってないし、離れてた間に何があったのかも誰も教えてはくれなかったし私自身も聞こうと思わなかったので
自分の身に起こった修羅場なのに詳しい事情がわかってないのですが、あのときが人生で一番の修羅場でした。


844: 名無しさん@HOME 2013/05/23(木) 13:43:13.90 O
妊娠中に旦那から「生まれたらDNA鑑定する(キリッ)」と宣言された。 
妊娠出産に関することを調べてるうちにネットにはまり、 
「妊娠は病気じゃないんだぞ、甘えるなよ」と言い出して、 
2ちゃんの女叩き系に染まっていったのは気付いていたがここまでだったとは… 
現実で最底辺にいる男達がネットでする女叩きなんかに影響受けてるのに呆れて、 
ぎりぎりまで働きながらも家事してたのは誰の為だったんだよと情けなくて、 
静かに泣きながら「うん、いいよ」と承諾。 
旦那はなぜかどや顔をしていた。 

翌日離婚届をサインしてもってきたのでサインしたら「これでいつでも出せるからな」とどや顔。 
私も離婚届を彼に書いてもらいお互い一枚ずつもつことにした。 
旦那は「とことん生意気な女だな!」と呆れてた。 

出産するまで家事だけして喋らなかった。 
向こうも意地になったのか託卵確定と思ったのか話しかけてこなかった。 

どんなに体調悪くても這うように家事をした。 
出産した日に旦那は友達と遊びにいっていた。 

無事に出産して手続きを全て一人で終えて、DNA鑑定をした。 
「わかってるだろうけど、慰謝料払ってもらうから、女はもらう側じゃないからなw」 
と旦那はせせら笑ってた。 
鑑定結果は白だった。 
旦那は何故か愕然としてた。 
一ヶ所だけじゃ信用ならんと五ヶ所に出した旦那。 
離婚届を出して実家に帰った。 
「今回は俺の子だったってだけで浮気はしてたんだろ!」と暴言が留守録に入ってた。 
旦那が周りにないことないこと言い触らしてた慰謝料と、 
養育費などを弁護士に任せて実家で子育て中。 

399: おさかなくわえた名無しさん 2013/07/15(月) 09:51:57.61 ID:PW4HlZFX
小学3年生の時の修羅場。
私の父は転勤族で、3年生の2学期に大阪から徳島の小学校に転校した。
転校生は珍しいらしく、クラスのみんなは初日からよく声を掛けてくれて
給食を食べたあと5時間目が始まるまで校庭でのドッジボールに誘ってくれたんだ。
運動は割と得意だったら、すぐに溶け込めて楽しかった。
チャイムが鳴って友達になった女の子と一緒に教室に戻ろうとしたら
鉄棒にぶら下がってジッと私を見てる女の子がいた。
同じ学年かひとつ上か、それぐらいの背丈も似たようなぐらいの子。
実はドッジボールしてる最中から、私を見てることに気付いてはいたけど
特に気にしてなかったんだ。
でもその時は何故か、その目線に敵意みたいなものを感じて
何だろう?と思って彼女の目線を受け止めてしまった。
ジーーーーッと見つめてきたからジーーーーーッと見つめ返したんだよね。
そしたら突然私に向かってすごい勢いで走ってきた。
まさにイノシシ。猪突猛進って感じ。

400: おさかなくわえた名無しさん 2013/07/15(月) 09:53:02.93 ID:PW4HlZFX
一緒にいた子はサッと逃げて、私はタックルをモロにくらった。
そしておさげにしていた私の髪を掴んで振り回した。
ものすごい力だった。
頭皮からブツブツブツ・・・って髪が抜ける音が聞こえた。
更に頭を抱えるようにして膝蹴りされた上、
振り回して投げ出され、校庭を転がりながら鼻血を出してた。
恐怖や痛さで泣くより前に、何が起こっているのか全く分からなくて頭が真っ白だった。
クラスメイトが先生を呼びに行って、引き剥がされて
その後のことはよく覚えていない。
多分恐怖が強すぎて自覚がなかっただけだったんだろう。
直後の何日かの記憶が飛んでいた。
どれぐらい経ってからか分からないけど、その後は普通に学校生活を送ってて
そんなことがあったなんて、すっかり忘れてたんだけど
中学の時に突然そのことを思い出した。
どう思い出そうとしても、その後の結末が思い出せなくて母親に聞いたんだ。
そしたら、「ああ、基地外の生徒さんがいたねぇ」って。
当時は基地外なんて言葉は普通に使ってた。


109: 名無しさん@HOME 2012/09/05(水) 14:27:19.03 0
空気読まずに吐き出し失礼。

いきなり20年前のことがフラッシュバックした。
私を突き倒して蹴りながら怒鳴る父、
罵詈雑言を浴びせながら殴りかかって来る母、
「目を蹴り潰さないだけありがたいと思え!」って
言われたところで記憶が途切れてる。

親の自営がうまく行かなくなって、関連会社の重役の息子と私の結婚が
資金援助の条件だったとかで話がどんどん進んでいた。
当時は恋人もいたし、何よりその重役の息子が今で言う糖質。
「僕たちケッコンするんだから、主治医に挨拶してネ!」と言われて
ごめんなさいごめんなさい本当にごめんなさい私には無理、と
お話を断って帰宅したら両親に折檻された。通帳と印鑑も奪われ
会社にも「花嫁修行のため退社させます」と勝手に連絡された。
体重が32kgまで落ちて自分で立てなくなった頃、祖母宅に引き取られた。

両親と没交渉になり、少しずつ食べられるようになり、
3年ほどかけて心と体調子を取り戻した。バイト先で頑張ってたら
正社員登用の試験に合格出来て、そこで知り合ったのが今の主人。
私と両親の関係を理解してくれたので、入籍だけして遠くへ引っ越した。

祖母から先日、両親が私に会いたがってると聞いた。
あんなことしておいて孫に会わせろとか寝言は寝て言え、だ。
私の携帯番号や住所を教えないよう祖母を説得するのい骨が折れる。


82: 名無しさん@HOME 2013/04/02(火) 17:16:33.84 O
夕方 リビングでテレビを見ていたら、電話が鳴った取ったら 「お父さんかお母さんはいらっしゃいますか?」
我が家は両親共働きだったので「まだ仕事から帰ってきてないからいません」と答えた。「ああそうですか」といって切れた。

しばらくして今度はチャイムが『ピンポ~ン』と鳴った。続きます

88: 名無しさん@HOME 2013/04/02(火) 17:27:23.77 O
当時、我が家にはインターフォンは導入されていなかったので当時無知な小学6年の私は普通にドアを開けた。若い男がズカズカ入って来た。いきなり玄関に押し倒された「大きな声だすなよ」といいながらTシャツを捲られた幼いながら、いやらしい事されちゃう!とパニックになった
続きます


290: 名無しさん@HOME 2013/04/07(日) 00:47:17.51 0
流れ切ってしまって申し訳ない。先日キチに託児未遂されたときの修羅場。

私祖母の実家はド田舎にあり、曾祖父が元気な時代には中小企業を経営してた。
曾祖父亡きあとは会社も廃業したんだけどド田舎故に会社で雇われてたのは近所の方々だったので、今でも寺の檀家総代やったりなんかしてる。
先日その祖母実家の近所で不幸があったんだけど、春休み中の祖母実家には里帰りしてる親戚も多くて総勢4人のチビッコ(全員はとこ)がいた。
つまり誰か子守が必要だけど交流の深すぎるド田舎で、○○さんは来なかったなんてことは避けたいから世話役としてこれないかと私に召集がかかった。
私はヒマな学生で私祖母も葬儀に出席するし、やんちゃなチビどもはなぜか私の言うことは聞くので好都合だったらしい。当の私は日給諭吉さんにホイホイ参上した。
ここまでが前提。

葬儀当日、朝早くに会場設営や食事の準備に寺へいった親戚たちを見送り、5歳児4人の世話をすることになった私は1時間で疲労困憊。庭で外遊びをする子供達をボーっと眺めてた。
すると道路の向こう側(向かいは寺)から赤ちゃんを連れた女の人がやってきて、なぜかふぁびょり出して罵詈雑言。中身を要約すると「このデブ女!(私のこと)」「このガキ(彼女が抱えている赤さん)預かれ!夫には言うなよ!」とのこと。
夫に言うも何も彼女とは初対面で私はどこのどなた様状態。すいませんけどどなた様でしょうかと聞いたら「うっせえ!預かれ!」と。

とにかく寺の方から来たから手伝いに来た近所の奥様だろうとは思ったんだけど、とりあえず誰かに来てもらおうと思って携帯出そうとしたら奪われて踏まれた。ピンヒールだったため携帯粉砕。そして私は殴られた。
さらに何してんだこのデブとか言われてもう涙目な私の前に、家の中に逃げてったはずの4人のチビが「ヒーロー参上!」とか言って出てきた。
某ライダーのベルト+指輪装備済みで、しかも「(私)は病気なんだぞ!許さん!」「(私)!大丈夫ですか!」と超ノリノリ。私もキチも唖然。
お前らわざわざ準備しに戻ったな!バカやってないで早く逃げろとチビどもを追い返しているうちにキチが覚醒。家に入ろうとしている子を捕まえてひっぱたきやがった。
私もブチ切れたし子供はギャン泣きするしで庭は地獄絵図と化したのが第一の修羅場。


51: 名無しさん@HOME 2013/04/02(火) 12:27:19.09 0
フェイクは入っている

その出産のとき、私は初めてではなくて、予定帝王切開で手術日が決まってた。
横のベッドの人(Aさん)は私よりも年上で初産、優しそうな旦那さんが毎日見舞いに来てくれてて
何くれとなく奥さんの世話を焼き私たち同室の人に愛想もよく
待ちに待ったお子さんの話を嬉しそうにしてて、いいご夫婦で羨ましかった。
うちの長女にも親切で、おなかの子が女の子らしいということもあり、
「うちの子もこんなに可愛いよい子になってくれるかしら?」なんて言われて
とても仲良くなっていた。

手術日、昨晩から断食して準備し、「頑張ってね!」と言ってくれた奥様に手を振って手術室に入った。
おなかをぐにぐにされて無事出産、そのまま麻酔効果で眠った。
目を覚ましたときはNSの横の処置室で、そこで一日過ごし、翌日から母子同室に移される予定だった。
その晩、横の病室がばたばたとあわただしくなった。
しかし自分は産後と言うこともあり大変眠く、誰かが産気づいたかなぁ頑張れ、とのんきに思ってまた寝た。
次に目を覚ましたのは明け方くらい。横のベッドからの声に気付いて目が覚めたのだとすぐに解った。
誰かがすすり泣いてる…
細かな嗚咽の間に入る呪詛(言ってる本人への)、赤ちゃんへの侘びなどから「そういうこと」だと気付き、
麻酔の残る腰が痛くてたまらなかったが寝返りも打てず、鬱々と3-4時間過ごした。
そのうちに泣いてるその人がAさんだとわかり、何ともいえない気持ちのまま眠れもできずに朝を迎えた。
このときが第一の修羅場。



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