2014年01月

575: おさかなくわえた名無しさん 2013/12/27(金) 15:50:59.00 ID:nq19gKty
長文です
私が二十歳くらいの時、携帯会社の店舗でやってる懸賞に当選した
携帯所有者と連れのペア旅行券で、各地の結構高額な旅館から選べるというもの
日ごろのお礼も兼ね、仲の良い母を誘うと「行きたい!」と喜ばれ、親娘二人旅が決定した
人数の追加は実費負担(五万ほど)であり、父は不定休で出歩いても喜ばない性格なので除外
母へのプレゼントなので場所や日程の決定権を渡し、数ヵ月後に決まったその日をわくわくして待っていた
そんなある日、お盆で母の実家に行った
母が世間話で上記の懸賞旅行の話をすると、祖母が私を見て眉を顰めた
「なんで(私)と(母)なの?なぜ両親で行かせてあげないの?」
なんでお前が行くんだと侮蔑するように言われ、母は「だよねー」と笑ってた
祖母の言い方は酷く癇に障ったが、私が一番腹が立ったのは、笑って同意した母にだった
喜んでたのは嘘で、楽しみにしてたのは自分だけだったんだと思うと悲しくて虚しかった
その日の就寝前に「私は旅行に行かない。夫婦二人で好きに行けばいい」と母に言った
出来るだけ落ち着いて言ったつもりだったが、途中で涙が出てきて最後はしゃくり上げていた
財布に入っていた5万を置いて自分の部屋に引っ込むと、母が追いかけてきた
「どうしてそんな事言うの。(父)と二人で行っても、つまらないって分かるでしょ」
私は無性にイライラして、言うつもりはなかった言葉を吐き捨てた
「じゃあどんなつもりで笑ったの?私とは行きたくないんでしょう?
気が利かない思いやりがないって、なぜ私が詰られなければいけないの?」
そんなつもりはなかったと母は慌てていたが、今はまともに話を聞けないから出て行ってくれと頼むが
母が動かずに泣きだしたので、私が部屋を出て居間へ移動した
しゃくり上げが止まらずにいると母が追って来たので、もう来るなと言って部屋へ戻った
その日はティッシュ2箱を使い切ってタオルに染みを作りながら寝た
涙と鼻水はセットであり、しゃくり上げて泣くのは苦しいと思い出せた修羅場



671: 名無しさん@HOME 2012/09/21(金) 02:01:54.10 0
出産が人生一番の修羅場でした…
みんな大変だと思うけど。
私は腰が弱くて子供のころから仰向けに寝ることができなかったのですが、
分娩台って仰向けだよね。陣痛開始10時間から20時間のあいだ、子宮口がずっと7センチのままで
陣痛の合間に腰痛が襲ってきて、痛みに全くインターバルがなくなった。
「今ここに核爆弾のスイッチがあったら押すのに、そしたら楽になれる」ってずっと思ってた。
陣痛促進剤はまったくきかなかった。
ナースに「なんか吸うとかして出してください!」
ナース「そういう処置は危険を伴うから、最終手段なのよ。赤ちゃんに何かあったら大変でしょ」
「多少何かあってもいいから出してください!」
「何言ってるの!」
「じゃあ切ってください!」
「あなたね、こんなの全然難産じゃないわよ、我慢しなさい」
(このナースさんじゃダメだ!)そこに医者が入ってくる
「先生!もうダメです、死んじゃう!」(本当に苦しいのにさらに演技)
ナース「あなたね!」

自分のことしか考えてないやな妊婦でした
ナースさんには悪いことをした


612: おさかなくわえた名無しさん 04/03/22 11:48 ID:E5oMeQ3U
うちの父は何だか変な性格で、全然家庭人じゃない。 
家のことなんて全くしない。 
子供のようにわがままで、嫌なことがあるとすぐだんまりを決め込む。 
私に対しても甘やかしたと思うと、いきなり叱り飛ばしたり 
とにかく気難しい。 

反抗期だった私はなんであんな性格なんだろうね、やってらんないよ~、と母に言ったら 
「A子(私)も一人前の年だから…」と母が話し出した。 

父の父親は戦争で亡くなった。父の母はそれが元で 
精神がおかしくなり、父の姉と父を連れて 
線路に飛び込んで心中を図った。助かったのは5~6才の父だけ。 
それからは知合い中をたらい回しにされ、いじめられ、 
大変な少年時代を送ったらしい。
『だから性格がひねくれたんだねぇ(;´Д`) 。 
でも、何回も流産を重ねた後でA子が生まれた時、 
「天涯孤独な自分にも家族が出来た」って泣いたんだよ。 
お母さんは所詮、お父さんにとっては他人だけど 
A子はあの人にとって、一番の宝物だよ。』 

この話しを聞いたときは大泣きしてしまった。 
「家族を持ったことがないから、どうしていいか分からない」と 
母に相談していた父の気持ちを思うと 
切なくて泣けた。お父さんに優しくしないとなぁ…
 

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