義母

258: 名無しさん@HOME 2011/10/08(土) 12:10:39

自分が養子だと知った時は、修羅場だった。

反抗期真っ盛りだったし、我が家は相当修羅場だったと思う。
思い出すだけで当時の自分を殴りたくなる。

他人の子供なのに見放さなかった両親には感謝しかない。

自分と兄貴で両親を旅行に連れて行けたので記念カキコ。


28: 名無しさん@HOME 04/01/24 08:54

毎度毎度トメトメしいわがままばかり言うトメに
「年を取るのは簡単ですけど、大人になるのって難しいんですね。
ねぇ、お義母さん?」

としみじみガキを見るような目で哀れんでやったら、朝から部屋にこもったまま出てこない。
このまま一生引きこもっててくれw


280: 名無しさん@HOME 2011/08/08(月) 13:08:51.81 O

同居を初めてすぐに妊娠した。
そしたらトメにほうずきを渡された。

コーヒーを入れて少し席を離れたら、水銀の体温計が割られてカップに入っていた。
体にいいお茶なの、とわけのわからない葉っぱの入ったパックをたくさん渡された。
お風呂場のタイルにシャンプーかボディソープがまかれていた。
頂き物だから、と生肉を食べさせようとする。

とてもわかりやすく、引っ掛かることはなかったが、身の危険を感じて
旦那に事情を話し、実家に逃げた。
(旦那は半信半疑だったが、流産を経験したあとの妊娠中でナーバスになっているんだろうと承諾)

無事に娘が産まれたが、しばらくは恐怖から家には戻らなかった。
娘を会わせることになった経緯は省くけど、その後トメが娘の唇にハチミツを塗りたくり、
寝ている娘の頭の周りや手の周りにビー玉を置いているのを旦那におさえられたため、絶縁。

4: 名無しさん@HOME 2013/08/02(金) 17:28:27.26 O
>>1おつです。
久々に義実家いったら、まだまだてきめんだったDQN返し。

「お花に詳しい、女らしいワタシ」がだーい好きなトメ。
だから、植木職人を父に持つ・華道師範である私の母が嫌い。
そんな環境で英才教育された、しかもムスコタンを奪った「嫁」の私のことはもっと嫌い。

いつも我が家に突撃しては花を持参しクイズを出す。
私だって花は好きだけど、この世の全ての花を知ってるわけじゃないし
「このアジサイは何て名前(品種)だったかしら?」「このバラの原産はどこだったかしら?」
とか、知らねーよ!

もちろん、買ってきたトメは知ってるから、まぁ嫌みったらしくご高説をのたまうのたまう。
「あらっ、お母様お詳しいのに知らないの~?
どこのお花屋さんでも売ってるわよ~?お母様お詳しいのに~(お気に入 りのフレーズ)」
「常識でしょ?常識!あ、ごめんなさい、私ったら、子供の頃からお花が大好きで~
(以下、おしとやかトメ少女時代話の話。毎回言う)」
見栄なのか何なのか、持ってくるお花は高級そうなのばかりだし。
男系家族で花トークできなかったのね、あら可哀想な人ワロスワロスでスルーしてたんだけど
やっぱり週2ペースで来られるとイライラする。アポなしだし。

で、あるとき、鬼籍の祖父を侮辱しやがった。
「私なんか家事をパパっと片付けて、お庭のお手入れできるのに。
お庭の手入れだけで半日かけるって、お爺様、要領悪すぎじゃない?」
職人なめんな。仕事の質が違うんだよ!
祖父が請け負っていた日本庭園と、ベランダ菜園をそのまま路地にしたようなトメの庭とを同列にされたこともムカついた。

108: 名無しさん@HOME 2012/07/30(月) 11:49:10.54 0

 上で議論されてる内容だとスレチ判定されそうですが、
ここ以外に当てはまりそうにないので投下します。

10代のときに若気の至りで同い年の旦那と結婚しました。
私も旦那も会社員で、田舎でしたのでふたり合わせれば生活は充分できましたが、
何分若かったもので、同居を条件に結婚を許されました。
私の親は反対しましたが、父がやや毒、母がエネ気味だったので振り切って結婚しました。


239 名無しの心子知らず 投稿日:2012/08/13(月) 08:35:33.58 ID:3G0QRObr
昨日、旦那が義実家へ我が子(知的最重度、他害大有り)を連れて行った。
帰宅した時、ちょっと話を聞いてみたら
義実家での他害がひどかったのか、動けないように子の両手両足を義母がひもで縛っていたらしい。
ちょ、それって虐待なんじゃないかと思ったけど縛りたくなる義母の気持ちもわかる。
許せないのは縛られてる子を見ても何とも思わない旦那。


基本うちの子は相手をしてやれば他害は出ないから、
そんな縛られてる姿みたらほどいて相手してやるのが親じゃないのかと思うんだけど
「別に嫌がってなかったんだからいいじゃねーか。」と旦那。
私は違うと思うんだけど、こんなこと他の人に聞けないし
そのことで旦那と喧嘩した時、
「私はそれはおかしいと思うけど、あなたがおかしくないっていうなら第三者に判断してもらうしかない。」
と言ったら「そんなことしたらどうなる(児相がくる)か分かってて言うんだな?」と。

他にもいろいろあって、もう子は義実家には連れて行かないということで話はついたけど、
ほとぼりさめたら旦那はまた義実家に子供を勝手に連れて行くと思う。
今までもこういうことの繰り返しだったから。手足縛られたり、つねられた跡のこしてきたり。
世話してもらって助かるし、子も「ばーちゃんち行きたい」みたいなこと言うし、
祖母からも「暇だから連れてきてね。」って電話くるから連れて行ってたけどもう限界だと思う。
誰かに相談したいんだが、学校の担任の先生とかじゃまずいよね。
それとも手足しばられたくらいでグダグダ言うのもおかしいのかな。
もやもやする。


702名無しさん@HOME 2014/03/23(日) 00:34:12.89 0
嫁が記憶喪失になった時がヤバかったな
目の前で母親が車に跳ね飛ばされて即死してな
脳脱だったらしい
それから嫁発狂→気絶
母親と嫁はまるで姉妹みたいに仲が良かったから、精神的に相当なダメージ受けたんだろうな
慌てて病院に行くと、嫁から「誰ですか?」って言われた


510名無しさん@HOME 2012/03/25(日) 13:39:03.38 0
つまんない話ですがごめん、吐き出させてもらう

舅が死んで初めての彼岸だった。
舅は屑だったと思うが、なぜか死ぬ2年ほど前にウォーター(覚醒)した。
お金は有り余るのに、人は誰もいない、とどっかで愚痴ったら、
その話を聞いてくれたどっかのばあさんに、
「あなたは可哀そうね、人にやさしくできなかったのは誰もあなたにやさしくしてくれなかったからなのに。
可哀そうな人生だったのね」
とさめざめと泣かれて、初めて自分のやったことをじっくり振り返ったんだそうな。
泣いてくれたばあさんに、自分のしたことを語って、
ばあさんに泣かれて一緒に泣いてたら自分のしたことがいかにひどいことだったかわかった、すまなかった、と。
今更許してくれ、と言ってもたぶん無理だろうから、せめて自分が死んだ後に息子(夫)に遺産を受け取ってほしいと手紙がきた。
(絶縁して連絡先も教えていなかったので、親せき経由で)

『夫は10年前に死にました。今わの際の言葉は『あいつ(舅)にだけは連絡するな。葬式にも絶対呼ぶな』でした。
あなたが殺し損ねた長女は3年前に幸せに結婚して、子供も生まれていますが、
絶対にあなたには会いたくないといっています。子供も会わせたくないと。
あなたが知らない孫があと2人いますが、性別も教えたくはありません。
二度と連絡はよこさないでください』
という手紙を送り返した。
舅から来た手紙と、あまりに遠くて顔が全くわからない娘と孫の写真を、その中に何故入れたのか自分では判定不能。
写真は背景を入れようとしてあまりに遠くから撮った失敗作。


46名無しさん@おーけーちゃんねる 2014-04-22 07:02:11
味噌汁が冷めない距離に義母が住んでいるのだが
その義母から「娘ちゃんにもう少しいいものを買ってあげて」とお小遣いをいただいた。
なんでも、先日嫁が義母と遊びに行ったときに嫁友に会ったらしく
その嫁友がブランドバッグを自慢げに見せていた(ように義母には見えた)のに
嫁はノンブランドの鞄だったのが気に入らなかったらしい。


一応形の上では遠慮したが、それでもと言うので小遣いを受け取って
嫁に「このお金でなにかいいブランド鞄でも買ってこいよ」と渡したら
「このお金があればあの生地が買えるからそっちのほうがいいな」という。
「だってさ、ブランドバッグって使い勝手悪いし、汚れたらどうしようと思うから
それだったら自分の使いやすい鞄を買うし、その前に自分で作るよ」だってさ。

そういえば、妻の趣味が裁縫で、俺の帽子も妻が作ったものだった。
ブランドバッグに使うお金があるなら、趣味のための生地を買いたい人だった。
義母はそれはそれ、これはこれという事でなにかブランド品をひとつでも持てば
ママ友の集まりなどで恥をかかないのに、という配慮だったのかもしれないが
嫁はブランド信仰がないのか、むしろブランド品を持ってない事を自慢する。
私はブランドにつぎ込む金を布につぎ込んで死蔵する駄目妻ですよーと。

確かに嫁が買い込んだ布は大量にあるし、義母からもらった金も布に使うなよとは思う。
でも、正直に言うと、俺はこんな嫁が大好きだ。
子供服も自分で作って、雑誌についてくる鞄の見本をしばらく見た後にメモを取って
後日似たような鞄を作ってしまいような、そんな嫁でよかったと思う。


727: 1/2 2012/11/28(水) 18:42:57.23 0
先日アルバムを整理していて当時の写真が出てきたので思い出した。
母が再婚したときの話。

相手にも子供がいたので、当時小学1年だった私に姉(以下A子)ができた。
学年こそ1つ上なものの、数ヶ月しか歳は離れておらず、姉というより友達感覚ですぐ仲良しに。
新しい生活にも慣れたころ、母の再婚相手(A子父)は海外へ単身赴任となった。

そんな頃、学校で校長室に突然呼び出された。
校長先生とA子担任がいて、A子は泣きじゃくっており
先生から「A子は家でつらい思いをしている。家での様子を教えてほしい」と。
母の態度が実子である私とA子で不公平。A子は継子いじめをされていると訴えたらしい。
いつも一緒に遊んでいたし、身に覚えのないことなのでポカーンだった私。
A子の普段の態度と先生へ訴える姿があまりにも違い、仲良しと思ってただけにショックだった。
緊急家庭訪問となったが、結局のところ父親不在のA子かわいそう、継母である母ひどいとされた。

A子が不公平と訴えたのは持ち物や習い事に関してのこと。
いじめと言ったのは母に怒られたことだった。
母はA子へ「歯磨きしたの」「早く寝なさいよ」「お箸の持ち方は・・・」とか注意くらいで
怒鳴ったり叩いたりはしないし、やさしく言い含める感じだった。



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